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備前・旭川の憂鬱 (「知の下方修正」が起きている〟 19-82) [日記・雑感]


ネットサーフィンしていた訳ではないのですが〝教養ブームによって「知の下方修正」が起きている!?気鋭の批評家・大澤聡が語る「教養の危機」〟がヒットしました。チョット気になりましたので中身を見てみました。原本は以下の通りです。

教養ブームによって“知の下方修正”が起きている!?気鋭の批評家・大澤聡が語る「教養の危機」
2018年08月14日 知る・学ぶ ほんのひきだし編集部
https://hon-hikidashi.jp/know_learn/59074/


歴史や宗教、哲学などをわかりやすく解説した書籍や雑誌、テレビ番組。“教養ブーム”が続く一方、『批評メディア論』などで知られる批評家の大澤聡さんは、〈知の下方修正〉が起きていると警鐘を鳴らしています。


――昨今「教養ブーム」ともいわれるなか、大澤さんは本書『教養主義のリハビリテーション』(筑摩選書)で教養主義の消滅に警鐘を鳴らしています。タイトルの「リハビリテーション」にはどういった意味が込められているのでしょうか。

に対して、

英語、会計、ITが「ビジネスの三種の神器」として教養視された時期がありますよね。けれど、あの手のスキルは環境の変化とともにたやすく廃れ、総入れ替えさせられてしまうもの。

ですから、「これからの時代はこのスキルが来る!」式にアップデートしてみせても、時限的にしか機能しない。むしろ、「教養とは何か」という土台となる認識を立て直すところから始めるほかないのではないか。そんな思いから、「リハビリテーション」という言葉を選んだわけです。

世界をガラガラポンで変えようとするパワフルな言葉が巷には溢れています。だけど、僕は過去の蓄積を切り捨てるのではなく、しっかり再点検しつつ、そこを再利用するかたちで教養主義を再生させたい。

現代の状況をよく表していると思います。〝過去の蓄積を切り捨てるのではなく、しっかり再点検しつつ、そこを再利用する〟はよくよく考えて見る必要があります。

現代の状況をよく表していると思います。〝過去の蓄積を切り捨てるのではなく、しっかり再点検しつつ、そこを再利用する〟はよくよく考えて見る必要があります。

メディアお得意の〝一言で!〟とか、小泉純一郎元総理の〝ナントかをぶっ壊す〟式の言語体系は世の中を混乱させるだけと思います。


――「教養主義の消滅」とは具体的にどういうことなのでしょうか。

に対して、

教養主義に必須の要件として「歴史」があります。歴史を媒介にして近代的な「人間」の輪郭も形づくられてきました。ですから、「教養主義の消滅」は、とりもなおさず「歴史の消滅」であり、「人間の消滅」でもある。近代的な意味における人間の消滅ですね。

たしかに、このところ歴史ブームが再燃してはいます。けれど、ピンポイントでネタを消費するばかりで、そこには「現代との距離」を測定する回路がないようです。

それでは、雑学や豆知識をサプリ的に大量摂取することにはなっても、歴史性や主体性の再構築にはつながらないでしょう。「いま・ここ」と関連付けられていない歴史的な知識は流れ去るのも早いものです。

そして、近代は精神分析的に歴史や人間の「深層」を発見した時代です。いまはその深層が消滅しつつある。人間や現象の深層が想定されず、何でも表層的に判定していく。


この辺り、全く仰る通りと思います。〝歴史を媒介にして近代的な「人間」の輪郭も形づくられてきました。〟と主張されていますが、隣の国にそのまま当て嵌まります。しかし、その根源は我が日本国のジャーナリズムや一部の識者にあります。

またTVではエンタメ歴史番組が氾濫しています。歴女、刀剣女子、城ガール、等々が溢れています。物事の〝取り掛かり〟としては良いと思いますが、単なるエンタメに終始しているように思います。それでもAKB的な文化に翻弄されるより余程ましでしょうか!?


――歴史性が衰退した背景には何があるのでしょうか。

に対して、

時間性を縦軸、空間性を横軸とするなら、1990年代当り (筆者注:東西冷戦の終結、天安門事件、ソ連邦の崩壊の辺り) に世界認識が、縦軸(=深層)を失って、横軸(=表層)にひたすら広がるスタイルにシフトしました。

たとえば、私たちは90年代の途中から元号でカウントすることを放棄して西暦で思考している。グローバリズムが全面化し、同時代のアメリカや中国と比較する横軸は強烈に意識する一方で、縦軸にフィードバックさせながら主体を形成するようなモードは希薄化しました。

けれど、人間はどこかで縦軸を求めてしまうもので、代わりに「ニセの縦軸」をそれぞれが好き勝手につくり出すようになってしまった。

そんな状況を加速させたのが、90年代半ばのインターネットの登場です。誰もが膨大な情報にアクセスできるようになった。が、そこで得られるのはフラットに横滑りしていく情報の群れにすぎません。つまり、情報をどれだけ掻き集めてみても、正しい縦のラインにはならない。

ウィキペディア(フリーオンライン百科事典)の構造をイメージしてみてください。個々の項目の情報は充実している。だけど、項目と項目がどういう関係にあるのかはほとんど説明されません。

ネットは手軽で便利だけれど、使う側の能力をかなり要求するんですよ。自分で文脈を用意しないといけないわけですから。そこをみんな勘違いしている。


この記事は、PHP研究所発行の雑誌「Voice」2018年9月号(8月10日(火)発売)に掲載されたインタビュー「著者に聞く 大澤聡氏の『教養主義のリハビリテーション』」を一部抜粋したもの、だそうです。

大澤 聡さんは、あっち系の方か、こっち系の方、かは判りませんが、筆者は共感するところが多々あります。

彼の概略の経歴は以下の通りです。
大澤 聡:Osawa,Satoshi(批評家)1978年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。近畿大学文芸学部准教授。専門はメディア論・思想史。著書に『批評メディア論――戦前期日本の論壇と文壇』(岩波書店)、編著に『1990年代論』(河出ブックス)、『三木清教養論集』(講談社文芸文庫)など。



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U3

 まさに今、この『歴史問題』で私は格闘しています。お隣の国のファンタジー歴史観についての考察です。
 歴史を学ぶこととはどういう意味を持つのか。そもそも歴史とは何なのか。それを知るのに最適な、もはや古典とも呼べる本を見つけてしまいました。
 岩波新書『緑版D1』、E・H・カー著、清水幾太郎訳『歴史とは何か』です。
 歴史の本質がこれを読むと歴史の本質と深層がよく見えて来ます。絶え間なく未来に向かって進行していく現在を軸に過去を顧みて、未来に備える。そんな考えを持つには最適な歴史家の本です。ちなみにこの本は、E・H・カーが、1961年の1月から3月に掛けて英国のケンブリッジ大学で連続講演した同題の歴史の講義を書物に置き換えて出版したものです。
 その中でE・H・カーが述べた『歴史は、現在と過去との対話である』はけだし名言です。
by U3 (2019-09-06 18:29) 

ironbridge

U3さん、コメント、ありがとうございます。
E・H・カーが述べた『歴史は、現在と過去との対話である』はけだし名言、ですよね。死ぬまでにこんな名言を吐いてみたいと思います(苦笑)。
それにしても今の英国、グダグダですね(笑)。E・H・カーが墓場で怒っているでしょうね。
by ironbridge (2019-09-06 19:37) 

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