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備前・旭川の憂鬱 (「〝変な〟イチョウ」 18-101) [日記・雑感]


平素は気が付かないのですが、ある時突然〝変だ〟と気付くと時があります。この写真をご覧ください。

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28本(実際に数えました)の樹木です。根っこから上を見ますと、これがイチョウなんです。

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イチョウにとっては狭い空間なんでしょう。端の一本のイチョウは反乱をしていまして、S字状に外側へかわしています。

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数日後の朝方通りかかりますと、剪定するほど茂っていないイチョウが丸裸にされているところでした。

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この植樹の形態は何か〝訳〟が有りそうです。遊具のある〝公園〟ですから市役所にでも聞いてみようと思います。

やはりイチョウは、この秩父ミューズパーク(10/25'18 時事通信web版よりパクリました)の方が良いのではないかと思います。

f秩父ミューズパークOct,25'18JIJI.jpg


今年の夏は猛暑・酷暑で大変でした。今秋もこれから〝紅葉・黄葉〟が楽しめそうです。




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備前・旭川の憂鬱 (「今月の満月は明日25日、でも今日24日の月の方が丸い理由」 18-100) [日記・雑感]


今年の〝岡山〟は西日本豪雨、酷暑、台風2発、と散々でした。そのせいでもありませんが、中秋の名月も鑑賞できませんでした。

ところが〝ウエザーニュース〟によりますと、本日24日が「満月」なんだそうです。暦では25日となっているそうです。軽薄な筆者はコンディジを片手にその「満月」を愛でに出向きました。

コンディジでもこのくらいは写せます。

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カレンダーや新聞などに記載された月の満ち欠けで今月は25日が満月となっているため、25日〜26日にかけての夜に見える月が満月と思われている方も多いと思いますが、今月は満月の瞬間が25日の1時45分になるため、今夜の月がより真ん丸な満月ということになります。

更に詳しい解説をお望みの方は下記linkを参照ください。
https://weathernews.jp/s/topics/201810/240075/





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備前・旭川の憂鬱 (「議論できる憲法改正(終章)」 18-99) [日記・雑感]


昨年の5月3日だったと記憶していますが、安倍総理が憲法改定に関して〝9条1項(侵攻戦争放棄)、2項(戦力不保持、交戦権否認)を残しつつ、自衛隊を明文で書き込むという考え方は国民的な議論に値するだろう〟と突然?でもありませんが提起されました。

これが起点となりスケジュールを含む「具体的」な議論が始まりました。それ以前は〝憲法〟について話すことや〝改正〟は実質的にはタブーとなっていました。

何故に賢い安倍総理がこのような奇案を言われたのでしょうか?

〝加憲〟を標榜する公明党に忖度したとしか思えません。政治は〝現実〟です。街のコメンテーターではありませんので、結果を出さなければなりません。国会で発議するための、妥協に次ぐ妥協も必要となるのでしょう。



「日本国憲法」の中で普通の日本国民が普通に読んで〝あれ?これはおかしい〟と思うのが〝憲法前文〟と〝9条2項〟です。


【「日本国憲法」全体】
「日本国憲法」全体に言えることですが、現代の日本語ではありません。さりとて英語の直訳でもありません(すみません、GHQドラフトは読んでいません)。

次に文章が長過ぎます。主語、述語、目的語等の関係が不明確です。大凡日本語は論理的ではない、といった程度ではありません。これだけでも、憲法改正の理由が充分にあると思います。

そして専門家である伊勢崎賢二さんや篠田英朗さんの言説を読み聞きして〝目から鱗〟でした。筆者は全く誤解していました。


現行憲法はGHQドラフトが原点のようです。ですから「日本国憲法」のGHQドラフトを「英語」で読めば国際標準である、「国際法」や「国連憲章」、あるいは「大西洋憲章」、「パリ不戦条約」や「リンカーン・ゲティスバーグ演説」に辿り着くようです。がしかし現在生きている、そして生活している日本人から見ると〝チンプン、カンプン〟です。


日本の憲法学者は「立憲主義」を盛んに喧伝します。立憲主義は〝権力を制限すること〟で、これだけは譲れないと主張します。このような護憲勢力の主張する立憲主義は戦後日本憲法学特有の時代がかった、いわば「ガラパゴス立憲主義」です。

重要なことは「権力者」も「日本国民」の一人です。ですから「権力者」を縛る事は、その「権力者」を選んだ「日本国民」を縛る事になると思います。すなわち憲法は「日本国民」の暴走を防ぐ事と変わりありません。それゆえ「憲法」も「法律」も同じと思います。


【憲法前文】
先ず筆者は憲法前文の中ほどに記載されている『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。』に違和感をもっていました。自国の安全と生存を他国である諸国民に依存するなんて、アホか!?と思ってきました。

ところがこれは誤解でした。違うのです。でも納得はしていません。この『平和を愛する諸国民』は、お隣のロシア、チャイナ、北朝鮮や韓国を指し示しているのではない、という事です。

英語では〝peace-loving peoples〟でして、第二次世界大戦後の連合国の戦後処理構想、国際協調のあり方についての「大西洋宣言」の中にある言葉で国際的標準語なんだそうです。すなわち〝peace-loving peoples〟は、今では国連加盟国全体を指し示すのだそうです。

こんなお話し、市井の日本国民、生活者は、多分全く理解していません。


【9条2項】
この項は国際標準と全くかけ離れているようです。今までこの2項や護憲勢力が声高々に主張していることは、「戦力:war potentialの不保持」および「交戦権:rights of belligerencyの否定」です。

ところが国際標準である国連憲章では、「自衛権:self-defense」は合法、「戦争:war」は違法である、という厳然たる区別があるそうです。

先ずは言葉の定義から。筆者の理解した範囲ですので齟齬はあると思います。

「戦力:war potential」と「自衛権:self-defense」の違いです。筆者を含む日本人の思考形態からすると理解しづらい所があります。

国際社会が兵力を評価する時の尺度です。筆者が考えるのは「平衡状態」か「天秤的水平状態」かの違いではないかと思います。

「平衡状態」は、〝綱引き〟や〝おしくらまんじゅう(死語か?)〟のように、押し合っている状態が基点・基準となると考えます。

平和を愛する敵、いや国が戦車100両、戦艦10隻、戦闘機50機、保有しているとしましょう。その時、我が国も同じ数の戦車100両、戦艦10隻、戦闘機50機、保有することが、国際法で認められている「自衛権:self-defense」なのです。

では「戦力:war potential」とはなにか?この「自衛権:self-defense」を逸脱して〝戦争を目的とした潜在力を持つ〟という意味です。曖昧と言えば曖昧です。


日本人の考える「戦力:war potential」や「自衛権:self-defense」は、武器を1丁持て持てば、それは戦力であり自衛権なのです。

これは「天秤」に似ています。〝何も無い水平状態〟が戦力や自衛権の不保持に相当します。ですから鉄砲一丁持っても「天秤」は水平位置から傾斜しますから、相手に脅威を与えたとなります。すなわち、日本人の考える「戦力」を持ったことになりますから〝「日本国憲法」違反〟となります。これを「絶対平和主義」とか「一国平和主義」と呼びます。


次に「交戦権:rights of belligerency」です。これも目から鱗です。国際法や国連憲章では、この概念が無い、のだそうです。なぜならば、「戦争:war」は違法ですから、当然「交戦権」という権利はありません。無いモノを放棄することはできません。

筆者が考えていた「交戦権」は〝宣戦布告する権利〟といったような意味で捉えていました。ですから、交戦権の放棄は単純に〝戦争はしません〟と理解していました。


以上のような理解で、筆者はこの2項は、国際法や国連憲章では意味を持ちませんので〝削除〟が最適と思います。「日本国憲法」第98条2項に〝日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする〟とありますので、9条そのものが不要かもしれません。馬から落ちて落馬した、になっています。



安倍総理は〝何が何でも憲法の矛盾を解消したい〟という「超現実主義」です。

篠田英朗さんは安倍総理と同じで、長々と議論している時間が今日現在の日本国にはない。未経験の少子高齢化、島国である日本、国力を疲弊させる時間の余裕はない、と仰っています。

結論は、憲法の解釈を確定させるために、9条に3項を追加することもやむを得ない。国際社会の一員として行動をとるべきである、と。



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備前・旭川の憂鬱 (「平凡で、ありふれた風景」 18-98) [日記・雑感]


時間があれば、あるは無くても、出来るだけウォーキング、歩くようにしています。老人は閉じこもりがイケません。

10月中旬の〝平凡で、ありふれた風景〟です。旭川(あさひがわ)の中州には、数えられる水鳥が〝8羽〟見えます。

1.中州の8羽.JPG


もう少し上流まで歩いて行きます。すると山陽線・旭川鉄橋と新幹線・旭川鉄橋の間の中州の周辺に、コサギが20数羽いる事もあります。彼ら・彼女らが生存できる餌がある、すなわち〝生態系〟が成り立っているのでしょう。

コサギの遠望です。エサを待っていたり、毛繕いに余念がありません。

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上のコサギとは違うコサギと、アオサギが川の中で〝距離〟を置いて佇んでいます。勿論、エサを狙っています。

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一方アオサギ2羽も偉そうに川の中で佇んでいます。本当に偉そうに見えます。

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中州では数羽のアオサギがこちらに背を向けて、井戸端会議ならぬ〝中州会議〟を開いているように見えます。

7.アオサギの中州整列.JPG


山陽線も3ヵ月ぶりにやっと全通しました。長大貨物列車の「貨物回廊」が復活しました。




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備前・旭川の憂鬱 (「議論できる憲法改正(その3)」 18-97) [日記・雑感]


「篠田英朗さん」の日本国憲法への考え方を筆者が勝手に理解した範囲でご紹介します。

篠田英朗さんは、東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授をされています。1998年、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)よりPh.D.(国際関係学)取得されています。『平和の構築』がご専門です。『集団的自衛権の思想史_憲法九条と日米安保』や『本当の憲法_戦後憲法学批判』を上梓されています。

篠田英朗さんも前稿の伊勢崎賢治さんと同様「国際法」順守のお考えです。そして日本国は〝国際社会の一員として行動をとるべき〟ですから「一国平和主義」はあり得ない、と主張されています。



では篠田英朗さんの主張です。少々脈絡がないことをお許しください。

日本は「国連憲章」の枠組みの中で行動するのが大原則である。しかし、日本の憲法学者はほとんど「国際法」を勉強していない。だから国内での憲法解釈と、国際法や国連憲章の主張している事に齟齬が発生する。

日本国憲法の問題は文章・テキストに「矛盾・無駄」が多い。〝憲法学通説〟では、憲法そのものより特定の〝解釈〟が優先されるのが問題だ。そろそろ「憲法解釈の確定」するために改憲が必要だ、と主張されています。

「解釈」によって日本国憲法は紆余曲折してきていて本質が見えなくなっている。もっと日本国憲法・前文を素直に、GHQのドラフトの英文も併せて読んで欲しい。意図的誤訳も散見されるが、そこには大原則である〝人類普遍の原理〟が書かれている。

実は憲法学者の全員が同じことを言っている訳ではないが、普通の学会から考えると異様なぐらいに一つの意見にまとまって〝通説〟を作っている。

例えば、〝憲法学通説〟の「立憲主義」は権力を縛ることだ、というのはやや一面的で穿ち過ぎで曲解した言い方だ。

憲法は果たして本当に「立憲主義」を命じているのだろうか?憲法を何度読み直しても「集団的自衛権」が違憲だとは書いていない。また憲法は、政府を制限しなければならない、という命令を国民に出しているとは思わない。

憲法の専門家は正しい、と主張し国民から乖離しているように見受けられる。

さらに、日本国憲法を〝素直に、論理的にしっかり読むべき〟であり、現状は穿ち過ぎる読み方だ。今こそ「憲法解釈の確定」は必要だ、とを強く仰っています。


現行の日本国憲法・前文と、9条をご覧ください。英文はGHQドラフトより篠田英明さんが引用されたものです。

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国際社会の正当な一員として国際法秩序をしっかりと守り、むしろ国際法秩序を展開のために貢献をする国になって、生まれ変わり皆と仲良くやって行きたい。そのための「原則」を書いたのが日本国憲法・前文です。

憲法9条(現行).png


日本国憲法・前文から9条が出来ている。9条は全文と同じことを書いただけである。

日本国憲法が発効した当時、日本は国連未加入でした。その後国連に加入し「国連憲章」を批准したのだから、9条を廃棄しても別に困らない。

日本国憲法第98条2項に〝日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする〟とあり、日本国憲法と同じ効力で国連憲章を批准している。


「国連憲章」の「戦力:war potential」とは〝戦争目的とした潜在力は持たない〟という意味であるから、国際法で認められている自衛権を正当に行使するための組織である「自衛隊」は「戦力:war potential」ではない。

国際法上「戦争」とは、国連憲章2条4項の〝武力による威嚇又は武力の行使〟を指す。

国連憲章 第7章「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動」であって、強制措置を発動することはやむを得ない、例えば北朝鮮に制裁を発動してでも、高次元の平和を求めて行く事が大事だと、国連憲章体制で皆が考える場合はそれに従うのが原則である。

国連憲章 第51条〔自衛権〕には、条件付きでは有るが、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない、と明記されている。

すなわち、「自衛権:self-defense」は合法、「戦争;war」は違法である。


「戦力:war potentialの不保持」および「交戦権:rights of belligerencyの否定」、これに対応する「国連憲章」の文言はない。特に9条2項は〝大きなお世話〟である。

交戦権:rights of belligerencyという権利は本来ない。ですから否認してもしなくても、国際法上は関係ありません。無いモノ、存在しないモノは否認しようがない。伊勢崎賢二さんと同じご意見です。

「戦争」が違法であったり、合法であったりすると考える人達がいる。〝合法な戦争〟というのは主権国家では、宣戦布告すると発生するものだと考えて、「宣戦布告するのが〝交戦権:rights of belligerency〟」であると思っている人達がいる。これがないと「侵略戦争」になっても、武器を持って侵略者に歯向かってはいけない、と信じ難い曲解をしている人達がいる。



現行の日本国憲法は、芦部信義(あしべ のぶよし)の憲法〝解釈〟が日本の法社会を支配しているとか。

芦部は次のように解釈します。冷戦体制下でも、どちらの〝同盟〟にもつかず、中立外交すべきと表明、そして〝公平〟は全方位外交、および全面講和を求めて、中立的に振舞うことであると〝解釈〟した。

確かに、日本国憲法には何処にもこんなことは書かれていない。「ドイツ国法学」の観念に基づいた抽象的な、現在の国際法が否定している概念を「解釈」として振りかざしているように見える。昔の憲法学者はドイツ留学者が多かったそうです。



以上筆者なりにpoorな脳みそでまとめてみました。

❖ 早期に〝憲法解釈を確定〟しなければならない。この〝確定〟には、憲法改正も視野に入っている。憲法の解釈を確定させるために、拙速かも知れないが、『9条に3項を追加』することもやむを得ない。(筆者の考えと異なります)

❖ 「人類普遍の原理」はリンカーン・ゲティスバーグ演説 1863年の前半の内容の言い換えであろう。そう日本国憲法を読むのが、最も素直な文章の読み方と思う。

❖ 日本国憲法・前文に〝平和を愛する諸国民(peace-loving peoples) の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した〟で〝平和を愛する諸国民〟はおかしいのではないか?という意見が聞かれる。

筆者も〝おかしい、削除すべき〟と同感でしたが、この文言は「大西洋憲章(※)」にもあり、国連加盟国を〝平和を愛する諸国民(peace-loving peoples)〟と言っている。チャイナや北朝鮮を示唆しているのではありません。確立した言い方であって正当な文言だそうです。

(※) 大西洋憲章とは1941年8月、大西洋上で行われた、アメリカ大統領F.ローズヴェルトとイギリス首相F.チャーチルの会談で合意された、第二次世界大戦後の連合国の戦後処理構想、国際協調のあり方についての宣言である。この第8条に平和を愛する諸国民(peace-loving peoples)〟が提示されている。



筆者の意見は、先ず「現代日本語」に変換すべきです。現行憲法は日本語で書かれていません。中学3年生か高校1年生が読んでも、歴史を紐解くことなく理解できる文言に改めるべきです。文言の概念定義が不明確です。

憲法9条は〝2項は削除〟し、自民党改正案の〝自衛権はこれを妨げない〟を2項として挿入です。

それに伊勢崎賢二案と篠田英朗案を入れて「再構築」すべきですが、これは相当時間がかかります。



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備前・旭川の憂鬱 (「議論できる憲法改正(その2)」 18-96) [日記・雑感]


最近、憲法議論に従来の憲法学者や護憲勢力とは異なる〝人種〟が、オールド・メディアにも露出しだしました。

例えば言語明瞭に発言される「伊勢崎賢治さん」や、「篠田英朗さん」です。彼らとは憲法改正の〝議論〟が可能です。なぜならば議論することを否定しないばかりか、憲法改正の〝提案あるいは代案〟が明示されています。



「伊勢崎賢治さん」の考え方を筆者が勝手に理解した範囲でご紹介します。あくまでも論点は〝憲法を議論しよう〟です。

伊勢崎賢治さんの立場は〝国際法ありき〟です。「国際法」とは、ほとんど「国連憲章」と言ってもよいようです。筆者は伊勢崎さんを批評や批判する知識も能力もないのですが、ただ言える事は、現状の「国連」や「国際法」を過大に評価されているように見受けられます。


次回ご紹介しようと思う篠田英朗さんも「国際法」順守のお考えです。これは共通しています。そして日本国は〝国際社会の一員として行動をとるべき〟と主張されています。「一国平和主義」はあり得ない、も共通しています。

もう一つ共通している事があります。〝「交戦権」という権利は国際法上存在しない。よって、交戦権を認めない、と言っても無いモノは認めようがない〟と。



伊勢崎賢二さんは、NGOや国際連合職員として世界各地の紛争地での紛争処理、武装解除などに当たった実務家でして、『僕は、20代から国際組織の現場の長をやらされ、どういうわけか、そこが戦争状態になったりして、その中で下した命令が部下の命を犠牲にすることを繰り返してきました』 と仰っています。

ですから日本の憲法学者、サヨクさん、ジャーナチズムや故福田赳夫総理の〝人命は地球より重い〟とは異なったご意見をお持ちと思います。

「伊勢崎賢治さん」はほぼ毎日tweetされています。言語明瞭でして、学者としてはかなり過激なご発言です。その極最近の一部をご紹介します。


まずこれから。

伊勢崎賢治@isezakikenji 10月10日
9条2項は自衛権を否定しない。ただそのために護憲派憲法学が構築した苦し紛れの言い訳は、その自衛権を制限する国際法を無視して(戦力として国内法の整備をしなければならなくなるから)、人間に保障すべき人権を国家の暴力である自衛権の根拠にするという暴挙です。護憲は一度全解体すべきです。

伊勢崎賢治@isezakikenji 9月26日
9条制定前から厳禁されている侵略戦争を、わざわざ交戦権として放棄する国際法上の必要性はありません。日本が今までも侵略戦争をしてこなかったのは9条のお陰ではなく、それをやったら誰でも全世界を敵にさせ、(「国連憲章」第53条の)旧敵国条項で日本を世界で一番武力行使のしにくい国にしている国連憲章のお陰です。

今までの通説とずいぶん違いますね。さらに日本国は戦後なぜ戦争をしなかったか!?に対して、

伊勢崎賢治@isezakikenji 日時転記漏れ
世界で一番戦争をするアメリカに従属でも、日本が平和だったんだから、それが9条の力だ。ある護憲派憲法学者が僕に言った言葉です。いえ、それはアメリカの力です。

チョット待ってください。余りにも明快なご主張です。総てこんな調子です。そして「日米地位協定」を厳しく批判されています。

伊勢崎賢治@isezakikenji 10月9日
日米地位協定の異常性(願わくば朝鮮国連軍地位協定も)に関する報道が増えてきたことを喜びます。しかし日本が逆の立場でアメリカを上回る異常性を発揮する日ジブチ地位協定の問題を扱わないのは人道、人権の立場から不当です。メディアの方々。日本の加害者性を併記しない取材はお断りします。


そして立憲民主党への伝言です。

伊勢崎賢治@isezakikenji
立憲民主党外交安保部会で講演。地位協定について。日米地位協定の破棄ではなく改正がアメリカとの法的な対等性の獲得を目指すなら、9条2項の護憲は最大の障害になると結論すると、さすがに皆さん頭を抱えていた。悩んでください。今まで考えずにきたのですから。


日本国内議論は、必要最小限の実力が犯す殺傷と破壊なら国際法が国家の戦力を戒める「戦争犯罪」には当たらない。だから法整備は不要、は大間違い。

コスタリカは、国家の実力はどんな最小限のものであっても国際法が戒める「戦争犯罪」を犯す可能性がある。だから法整備は必要。コスタリカが正しく九条護憲は間違ってます、と。


そして伊勢崎賢治さんの憲法九条の改正案は下記のようです。

a伊勢崎案.png


現行憲法九条は下記の通りです。

b現行憲法.png


この改正案は伊勢崎賢治さんの憲法に関して「戦力統制規範」に基づくべき、との主張から来ています。

c戦力統制規範.png


この中には、憲法学者、護憲勢力、サヨクさんやジャーナチズムが目をむくような〝徴兵制〟まで包含されています。この〝徴兵制〟は拙blog「欧州での徴兵制の復活の兆し」 https://ironbridge-uk.blog.so-net.ne.jp/2018-06-27 も参照ください。

次回は「篠田英明さん」を取り上げます。



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備前・旭川の憂鬱 (「地方創生-トラムJR岡山駅前乗り入れ」 18-95) [日記・雑感]


「地方創生」と掛け声だけが空しい地方行政も多いのですが、やっとこさ・本当にやっとこさで〝当たり前のプロジェクト〟が具体的な工程表をもって進捗しそうです。

なぜ〝当たり前のプロジェクト〟か!?JR岡山駅と市内電車トラムの岡山駅は、駅前の4-5車線の広い道路を挟んで〝180m〟も離れています。高齢者は勿論、通勤・通学者、そして観光客にとって不便極まりないものでした。

いままで岡山市の公共交通の不備・不便さ、そして「地方創生」高齢化の対策として当blogへも多数投稿して来ました。例えば、備前・旭川の憂鬱 (「地方創生-LRT」15-03) https://ironbridge-uk.blog.so-net.ne.jp/2015-01-07 、備前・旭川の憂鬱 (「地方創生-LRT」14-25) https://ironbridge-uk.blog.so-net.ne.jp/2014-10-10 です。


このような理不尽な公共交通として、岡山市一押しの観光資源〝岡山・後楽園〟と〝JR岡山駅〟との直通バスがなかった事が挙げられます。これは、備前・旭川の憂鬱 (「連休明けの岡山・後楽園」17-23)  https://ironbridge-uk.blog.so-net.ne.jp/2017-05-10 で紹介しましたように〝解決〟です。


今の岡山市長・大森正雄さんの指導力に負うところが多いと感じます。地方自治の「選挙」は、場合によっては「国政」より大切です。


決定した〝当たり前のプロジェクト〟の進捗を地元紙web版のコピペでご紹介します。


山陽新聞web.up.png



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備前・旭川の憂鬱 (「議論できる憲法改正(その1)」 18-94) [日記・雑感]

戦後一貫して「日本国憲法」に触れる事はタブー視されて来ました。議論することは即〝戦争〟に繋がると言われて来ました。一方、いつの間にか日本では〝戦力でない自衛隊〟が、世界的には上位を占める〝戦力〟となりました。

日本に200人から250人いらっしゃる〝憲法学者〟をはじめ、意識の高い人達やジャーナリズム、オールド・メディア、いわゆる「護憲勢力」は【現実】を直視せず、あるいは視ようとせず、日本国憲法に対してひたすら〝机上の空論〟〝神学論争〟に終始して来ました。


憲法学者の詭弁は『憲法は権力者を縛り、法律は国民を縛るもの』、これが「立憲主義」ですと強弁しています。それゆえ憲法を変えると権力者を縛れなくなる、すなわち戦争へ暴走する事を許すことになる、というものです。

日本は世界的に見れば、欧米型の「民主主義」が定着していますし、この「民主主義」を支える〝選挙〟も低投票率(※)を除けば、概ね公平・公正に実施されていると思います。ですから憲法学者が主張する「権力者」は国民の代表、代議士として選ばれた人達と考えていいと思います。 (※)筆者は「一票の格差」はそれほど大きな問題とは思いません。


重要なことは「権力者」も「日本国民」の一人です。ですから「権力者」を縛る事は、その「権力者」を選んだ「日本国民」を縛る事になると思います。すなわち憲法は「日本国民」の暴走を防ぐ事と変わりありません。それゆえ「憲法」も「法律」も同じと思います。


戦後の「護憲勢力」ですが、筆者の定義は以下の通りです。
〝「平和憲法」の九条に絶対的な価値を見出し、「社会主義」は理想的な社会の仕組みであると考え、日本国を「非武装中立」から「社会主義」国家へ移行させる考えを持つ人達〟

一部共通部分もありますが〝サヨク〟とは違います。〝サヨク〟はただただ空気で漂う人達です。〝ネトウヨ〟に対して〝テレサヨ〟と云ってもいいと思います。〝テレサヨ〟の情報源は真昼間のTVの情報番組にあります。

戦後の「護憲勢力」の原点は、アメリカの戦後占領政策の一つ〝war guilt information program〟が生み出したと思いいます。太平洋戦争についての罪悪感を日本人に植え付けるための洗脳計画です。日本人に二度と戦争をさせない、という事です。


〝日本が戦争しなければ平和になる〟的な思想は「他者の存在」がスッポリと抜け落ちています。独りよがりの考え方でして、いわゆる「一国平和主義」です。世界は日本を中心に動いている訳ではないのです。

こんな状況を近隣諸国のチャイナ、韓国、北朝鮮、おとびロシアは熟知しています。日本国領土を侵略しようが、日本国内に侵入し工作活動をしようが、反撃される心配は皆無、それを罰する憲法はなく、法律は一部有りますが未整備ですから、やりたい放題です。


ところが最近、従来の憲法学者や護憲勢力とは異なる〝人達〟がオールド・メディアにも露出しだしました。例えば結構明確に発言される「伊勢崎賢治さん」や、「篠田英朗さん」です。彼らとは憲法改正の〝議論〟が可能です。なぜならば〝提案・代案〟が明示されています。


「伊勢崎賢治さん」は、東京外国語大学大学院総合国際学研究科国際協力専攻平和構築・紛争予防専修コース(PCS)教授をされています。自衛隊を活かす:21世紀の憲法と防衛を考える会呼びかけ人、 NGO・国際連合職員として世界各地の紛争地での紛争処理、武装解除などに当たった実務家としての経験を持ち、紛争屋を自称されています。

「篠田英朗さん」は、東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授をされています。
1998年、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)よりPh.D.(国際関係学)取得されています。


次回、それぞれの主張をご紹介したいと思います。



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備前・旭川の憂鬱 (「台風24号の細やかな爪痕」 18-93) [日記・雑感]


災害の少ない県、と言われて来た〝岡山県〟今年はその神話が完全に覆りました。自然を侮ってはいけません。寺田寅彦ではありませんが「天災は忘れた頃にやってくる」..味わい深い言葉です。

岡山市も寺田寅彦、その例外では有りませんでした。今なお旭川(あさひがわ)には、細やかではありますが、台風24号の爪痕が残っています。


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山陽線の旭川(あさひがわ)鉄橋には、新しく河川水位目盛りが〝新規〟に表示されました。でも架橋直下まで水位は許容されるのですね。


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今年は7月6日の〝西日本大水害〟と、台風21号&台風24号による豪雨で旭川(あさひがわ)も散々な目に遭いました。でも〝水鳥〟達は元気です。アオサギ、カワウ、そしてコサギです。中州ではアオサギとコサギが至近距離で併存しています。人間世界と異なりとりあえず〝peaceful〟です。


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白鳥の「つがい」が見当たりません。




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備前・旭川の憂鬱 (「10月初旬の岡山・後楽園(続きの続き)」 18-92) [日記・雑感]


前回に続き岡山・後楽園です。今回は開放的な岡山・後楽園とは少し異なる一面をご紹介します。

先ず園内の案内図をご覧ください。南門の近くの〝竹林〟から入り〝二色が岡〟内を通り抜け、「花葉の池」と称する〝蓮池〟への道です。

岡山_後楽園_map.gif


〝竹林〟の入り口です。


a竹林入り口.JPG


〝竹林〟です。

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少し歩くと〝お社〟が右手に見えます。この辺りは〝二色が岡〟と称されています。鬱蒼とした山奥の風情でして、方向音痴の方は注意が必要です。一般の観光客が少ないので、癒される空間ではあります。


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そして〝二色が岡〟を抜けて、〝大立岩〟と「花葉の池」と言われる〝蓮池〟に出ます。

g大立石.JPG


h蓮池.JPG


i蓮池.JPG


この蓮は以前、当blogでもご紹介しましたが、千葉・検見川で発見された「大賀蓮」の子孫です。
この蓮池の脇を歩きますと、見慣れた岡山・後楽園に返ります。

j広場へ.JPG


夕方4時位でしたが、当日もかなりの観光客が来園されていました。

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「10月初旬の岡山・後楽園」はこれでお終いです。



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