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備前・旭川の憂鬱 (「G20大阪サミット2019」 19-66) [日記・雑感]


ご承知のことと思いますが、知識人やジャーナリストからは敬遠されている、トランプ大統領御用達の「FOXテレビ」というTV局がアメリカにあります。「20世紀フォックスグループ」のテレビチャンネルの通称とか...

このFOXのキャスターで司会者でもある、Tucker Carlson:タッカー・カールソンが、「メートル法」導入に反対する論者を招いて議論したそうです。

タッカー・カールソンはFOXのキャスターで、かなり〝まとも〟な人なんだそうです。

例えば、トランプ大統領と10数年前に不倫関係を持ったと噂されるポルノ女優:ストーミー・ダニエルズの弁護士、マイケル・アベナッティ氏を〝気持ち悪いポルノ弁護士〟と揶揄してきたそうです。まあトランプ大統領に不利な発言をしたら〝まとも〟な人になるんですかね、不思議ですが...


話を元に戻して、この議論での論者の主張は、「メートル法」はフランス革命の産物で過去をギロチンにかけるものだ。「ヤード・ポンド法」は計量スプーンを通じて先祖を結びつくために必要だ。「メートル法」のグローバルな圧政に対抗すべきだ。革命家による破壊に抵抗せよ、だそうです。

フランス革命(というか如何なる革命)も悪者扱いということです。その内、アメリカ独立革命も悪者になる日も来るのではと思ってしまいます。


実は筆者は現役時代、この「メートル法」と「ヤード・ポンド法」で貴重な経験?をしました。

ある日、通関当局から呼び出されました。なぜならば、「送り状:invoice」と「現物」が不整合である、現物の方が送り状より〝多い〟、ということです。これは〝密輸出〟に相当する、というものでした。

調べたところ、今ではあり得ないお話ですが、アメリカ向けに輸出する「送り状」に貼付する「パッキングリスト」の作成を手書きからコンピューター化したことが原因でした。

「メートル法」を「ヤード・ポンド法」に換算して「パッキングリスト」を作成したつもりでしたが、当時、工場内で使用するコンピュータ―は数値の表現力が弱く、勿論プログラミングも不味く、換算結果が〝桁落ち〟したのです。計算能力は〝電卓〟の方が優秀だったのです。

具体的には、[12.5 + 5.7 → 18.2] となるところが、12.5が12に、5.7が5になり、その結果[12.5 + 5.7 → 17] となったのでした。

〝桁落ち〟したので、計算上は現物より軽くなってしまいました。そこで出荷装置側は〝桁落ち〟で不足した分を加えたので、現物は多くなりました。この時は全くの想定外で、狐につまされた気持ちでした。


当時、あの伝統を重んじるイギリスでさえ「メートル法」になっていまして、主要国では〝アメリカ〟だけが「ヤード・ポンド法」でした。現在は「メートル法」から国際単位系「I S単位」に移行しています。未だにアメリカのみが「ヤード・ポンド法」ではないかと思います。

車の速度も毎時何マイルとか、今日の最高気温は100°Fとか、石油は何バレル、あるいはガソリンはガロンとか、高度30,000フィートで飛行していますとか、枚挙に暇がありません。

当時アメリカは日米通商交渉で日本の商習慣に〝非関税障壁〟がある、ケシカラン!と。日米通商交渉担当者であったライトハイザーは、現在〝通商代表〟に昇格、健在です。彼に言ってやりたいです。アメリカの「ヤード・ポンド法」は、立派な〝非関税障壁〟です、と。

今、日本とアメリカの貿易交渉をやっていますが、筆者の気持ちは、是非アメリカもそろそろ「メートル法」にしたら、と誘ってみたいと思います。科学や論文の世界は既に「I S単位」ですが、日常生活は難しいでしょうね!?だから車の数量規制を言ってきたら、意地悪く国際標準の「メートル法」を持ちだしたら、と言いたくなります。

日常会話では〝一寸席先は闇〟と言いますが、これを「I S単位」にする必要は勿論ありません。しかし最近、安倍総理殿が〝1㎜も変えられないのはおかしい〟旨の発言をされていました。会話でも「I S単位」になったのですね!?


昔々その昔、チャイナの秦の始皇帝が「度量衡の統一」を世界で最初に実施したと、学校の教科書で習いました。

始皇帝は国毎に異なる度量衡、長さの単位の一歩を6尺とし、量をはかる「ます」、そして重さをはかる「はかり」の標準器を製造して全国に分配し、物流・経済を円滑にしようとしました。昔のチャイニーズは偉かった、今はどうですかね(苦笑)。

安倍総理も「G20大阪サミットで」〝自由、公正、無差別。開かれた市場、公平な競争条件。こうした自由貿易の基本的原則を、今回のG20では明確に確認することができました。〟と総括されています。アメリカも今こそ日常生活を「ヤード・ポンド法」から「I S単位」に切り替えて頂きたいものです。



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備前・旭川の憂鬱 (「絹掛(きぬかけ)の滝」 19-65) [日記・雑感]


昨年の「平成30年7月豪雨」に襲われた高梁(たかはし)川水系ですが、丁度1年を経過した今、高梁川に沿って岡山から山陰の米子に通じる〝国道180号線〟をドライブしました。最近は70歳以上の老人には冷たい視線が注がれている事を深く認識しながら...

高梁(たかはし)市から新見(にいみ)市までの約30数kmは、両側がカルスト台地でして、川の流れに深く抉られた絶景もあり、また鍾乳洞も点在します。


ドライブ中には180号線に接した「絹掛の滝」を見る事ができます。

180号線の〝絹掛の滝〟は3段の滝でして、一段目が50数m、二段目が12m、そして三段目が28mで「奥の院」と呼ばれていますが、photoには映りません。高さこそありますが、水量がなにぶん細くて、こんな滝もあるんだ、と妙に愛おしくなります。


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「滝」と言えば〝ナイアガラの滝〟を思い出します。1998/09下旬(年月はパスポートで確認) カナダに出張しました。場所が〝ナイアガラの滝〟直近のHamilton, Ontarioでした。仕事が終わりホテルへ帰る時、ナイアガラを横を通ります。

この時、滝の横の公園の下に直径が10mほどある真っ白なパラボラ・アンテナが目に入って来ました。何をやっているんだろう!?と注視しますと、どうも渋谷電視台(別名NHK)がナイアガラの滝の瀑布を長時間連続で撮影し、それを日本へ送っているようでした。3日連続で見ました。

帰国後、BS3chの再放送と思われる番組で確認しました。ヒーリング音楽で〝せせらぎ〟を延々と録音したCDがありますが、それのDVD版といったところです。無駄なお金を使うものだと呆れました。



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備前・旭川の憂鬱 (「地方創生」 新見美術館 【堀文子 追悼展】 19-64) [日記・雑感]

新見(にいみ)市は岡山県西北部、石灰岩でできた吉備高原上に位置する市です。北は中国山地を介して鳥取県に、西は広島県に接しています。古くは18,000石の城下町でしたし、新見荘とも呼ばれていました。新見市の人口推定値は30,000人です。 「地方創生」の対象になる典型的な山間部の街です。

その山間の市が素晴らしい美術館を持っています。確認はしていませんが、ここの学芸員にセンスの良い目利きがいらっしゃるのだろうと思います。

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筆者は学芸員のセンスの良さにひかれて、結果的に毎年一回は足を運んでいます。


今回は先ほど逝去されました堀 文子さんの【生誕100年 堀文子 追悼展】です。ご承知の方もいらっしゃると思いますが、堀文子さんの属性を、今回の展覧会リーフレットより抜粋します。堀文子さんは〝詩情あふれる風景の絵や花鳥画で知られた日本画家〟と言われています。

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以下、展覧会のリーフレットより追悼展の絵画をコピペします。


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    妖精(クリオネ)と遊ぶ 2003年  株式会社米八グループ蔵


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この中には無いのですが、『アビニヨンの古い橋』1962年や、同系統の画風の『ニューヨーク』1963年は素人の筆者にも判り易い、そして現代感覚の抽象画にも通じる素晴らしい日本画、あくまでも日本画です。お見せできないのが残念です。

不勉強だったのですが〝デカルコマニー〟が5点も展示されていました。作風が理解できなかったので、帰宅後ググってみました。

「デカルコマニー」とは、フランス語で「転写」を意味する、シュルレアリスムの芸術技法です。 紙などに絵の具を垂らし、乾かないうちに別の紙を押しつけると、予想もできない面白い模様が現れます。 オスカル・ドミンゲスによって確立されたこの技法は、いまや幼稚園や保育園、小学校で大人気、とありました。


最後に今回の展覧会の所蔵先の半数は(株)米八グループでした。あの全国百貨店の地下食品フロアや駅中を中心に、米飯・惣菜の店舗運営を行っている会社です。人は見かけによらないモノです。



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備前・旭川の憂鬱 ( 「メディアは権力を監視しているか」 19-63) [日記・雑感]


在英国際ジャーナリストの木村正人さんが、06/16(日)配信のYaHoo!Japanニュースに〝朝日新聞の信頼度は今年も五大紙で最下位 新聞のデジタル読者は一部を除いて頭打ち https://news.yahoo.co.jp/byline/kimuramasato/20190616-00130351/ 〟を投稿されていました。

昨今の日本のジャーナリズムは見るにも聞くにも堪えられませんので、内容を確認しました。

元ネタは、英オックスフォード大学内に設置されているシンクタンク、ロイター・ジャーナリズム研究所の調査報告書「デジタルニュース・リポート2019 」(38カ国・地域、75k人対象)です。原本はpdfでして少し長いですがlinkを貼付します。
https://reutersinstitute.politics.ox.ac.uk/sites/default/files/2019-06/DNR_2019_FINAL_0.pdf?fbclid=IwAR2DF3Qi5t7zlqzF_rXKnnh-qajKHk1RFcnhj7q9enTtCU-TgEZT_TsOpdQ


日本国内の個別のメディアの信頼度の調査は、まあそんなものか、と横に置いておきます。何と言っても驚異的な調査結果は、次のグラフをご覧ください。


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「メディアは権力を監視しているか」という質問にドイツは読者・視聴者は37%、ジャーナリストは36%が「はい」と回答しました。

これに対して日本は読者・視聴者17%、ジャーナリスト91%と非常に大きな開きがあります。 こういうのを「思い上がり」とか「傲慢」(筆者追記) というのではないでしょうか。

以前にも投稿しましたが、「権力の監視」=言葉狩りや揚げ足とり だと思っているジャーナリストが日本には多い気がします。

その原因を木村正人さんは〝日本メディアの情報発信は一方通行になっているため、発信者と受け手側に大きな認識のズレが生じています。新聞もテレビもデジタル化に取り組むのが遅れ、読者・視聴者の満足度を十分に分析して、それに応えてこなかったのが原因です。〟と分析されています。


日本のジャーナリストは、自分は仕事した気満々なのに、逆に顧客である日本国民は超不満と感じています。仕事でコレやると、恥ずかしいですよね。そりゃ、お客さんである購読者や視聴者は減ります。

オールドメディア所属のジャーナリストは、デスクや部長、局長の顔色や他社の動向ばかりをうかがって原稿を書いているからこんな現象が起きるのでしょうね。サラリーマンだからある程度は仕方ない!?とは思います。

朝日新聞は記者に対して〝エッジを利かせた記事〟を求めているそうですから、当然 fake newsも増加するでしょう。


ごく最近、東京都美術館は漫画家・峰なゆか氏が受けた館内トラブルの対応について謝罪「現在、事実関係を確認」6/16(日) 21:55配信 
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190616-00000240-spnannex-soci 
という記事がありました。

峰氏は
「今日は東京都美術館のクリムト展に行って絵を見てたら、急に車椅子に乗った男に殴られた。びっくりしすぎて固まってたら、さらに無言で2、3発殴られた。美術館の人に伝えると『常連のお客様で頻繁にトラブルを起こす方なんですけど、こちらでできることは口頭注意くらいです』とのこと」と説明し、さらに「追いかけて殴り返そうとしたけど『峰なゆか障害者男性に暴行』という見出しがよぎってやめた。
との事です。


もしも筆者なら、この問題を「二つ」に切り分けて考えたいと思います。

一つは「障害者も加害者になる」という事です。佐々木俊尚さんに言わせれば〝マイノリティー憑依〟しているオールドメディアですから、マイノリティーは弱者で可哀そうな方々(確かにそうです) だから、悪い事など絶対にしない、悪いことは健常者が仕掛けたからだ、という発想です。

二つ目は、従来通りの「行き過ぎた人権意識」です。権利や自由を主張するなら、主張する側に「規律」が無ければ、権利や自由が暴走し出鱈目になります。この出鱈目は障害者を利用する活動家たちにありまして、峰なゆか氏が主張された通りで言論封殺行為です。


最後に「デジタルニュース・リポート2019 」の巻頭言の一行目をコピペします。邦訳は「Google 翻訳」です。

Journalism exists in the context of its audience, and if journalists (and those who care about journalism) are to understand and navigate the changing environment around news, it is critically important that they have access to relevant, robust, independent evidence and analysis on how people across countries engage with and use news.

ジャーナリズムはその聴衆の文脈の中に存在し、ジャーナリスト(およびジャーナリズムを好む人々)がニュースを取り巻く変化する環境を理解し、ナビゲートするのであれば、関連性のある強固な独立した証拠と分析方法に関する分析にアクセスできることが非常に重要です。 各国の人々がニュースに関わり、ニュースを使用します。



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備前・旭川の憂鬱 ( なぜ日本の国会の議論は不毛となるのか!? 19-62) [日記・雑感]


学者や識者が既に様々な角度から議論しつくされているようにも思えます。しかし筆者は納得していません。

基本的な認識は、現状の〝民主主義を是とする〟以上、物事は国会での議論を尽くしたと思われる後〝多数決〟で決めるというものです。では〝議論の最後〟とは何時か、ということですが、むろん未来永劫に議論すればいい、とはなりません。

衆議院の優越を除き、法的にも理論的にも決まっていません。慣習的にこの法案は30時間議論したから、そろそろ採決に..となっています。30時間に根拠はありません。


筆者は、結局「議席の数」の力が決めている、と思っています。過半数の議席を占めている政治勢力 (必ずしも政党ではありません) が、オセロゲームよろしく、物事を決めるのです。

最近、イギリスのBrexitに関する採決を見ても、現状の民主主義を是とする以上、学者やジャーナリストがポピュリズムはけしからん!とか何を言おうとも、法に定められた通り「多数決」で決める以外に無いのです。


にも拘わらず、野党は明らかに劣勢にあって〝無駄な抵抗〟と判っていても、その存在意義を主張するには、採決に当たっては、岩盤支持層へのパフォーマンスが必要です。

牛歩戦術といったアナログ (アナクロニズムか?) や委員会の議長席を占拠するとか、それも最近は女性議員のセクハラを悪用した戦術、最後には不毛な内閣不信任案の深夜提出、と続きます。

〝働き方改革〟は何処へいったのか!?


筆者はここで〝岩盤支持層に対する存在意義〟に注目したいと思います。

野党の岩盤支持層は戦後レジームそのものを信じて疑わない層、固定客です。それは、「憲法9条」に絶対的な価値を見出だす固定客=岩盤支持層がいらっしゃることです。

その考え方は、以前にも述べましたが〝戦後のエリート達が考えていた事でして、平和憲法は「絶対の善」であり「社会主義は理想」的な社会システムである〟というものです。具体的な方策は〝日本を非武装中立から(民主)社会主義に移行させる〟ことです。


戦後75年近く経過し、科学技術は進化し、経済的にも豊かになり、憲法第二十五条 (国民は健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有する) も先進各国と比較して (子供食堂もありますが) ほぼほぼ達成されましたが、彼らはそれを直視しない。だから、問題点も整理できないので、政策立案に至りません。

その憂さ晴らしが、彼らの最も嫌うポピュリズムの極致、日本国内だけに限定された週刊誌ネタによる〝スキャンダル〟の追及です。


ソ連崩壊後の世界の変革、少し旧式の言葉ですが、第三世界の台頭、その中でも特に〝チャイナ・インド・北朝鮮〟さらに中東情勢、EUの拡大とロシアの行動、といった事に関する発言を彼らから聞いた事がありません。

〝人権、人権〟と言っているわりには、世界の人権問題の解決策を発信していません。国連のイカガワシイ人権委員会にfake infoを流して留飲を下げているだけです。


今の野党には、残念ながら「憲法」以外の独自の政策が無い、立憲主義を捨てると野党の存在意義が喪失し、固定客も喪失してしまいます。


では何故に世の中が変わっても、彼らは戦後レジームを守り通そうとするのか、です。それは意外にも江戸時代、徳川幕府の推奨した儒教にあるように最近思えてきました。

儒教には「歴史を捏造する」という欠点があるそうです。

「過去に起こったこと」をとりあえずそのまま記録するのが歴史なんですが、儒教に置いては歴史とは「そうであった」ではなく「そうあるべきだった」という形になるそうです。現実よりも理想が優先する、という事でしょうか。

「平和憲法があった」から日本は平和だった、それは決して証明されたものではなく、理想に過ぎないのですが、彼らはそれを真実と思い込んでしまっています。

儒教は常にそれを「事実」ではなく「願望」つまり「そうあるべきだった」という形に変えてしまう傾向が強いのだそうです。現在の日本の野党そのもの、といって良いのではないでしょうか。


一昨年のノーベル文学賞受賞者カズオ・イシグロ著「日の名残り」では〝今日の世界は高貴な本能を大切にしてくれるような綺麗な場所ではない。〟と。



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備前・旭川の憂鬱 ( 「棚田」岡山・大垪和(おおはが)西 19-61) [日記・雑感]


〝目の前に広がる棚田が絶景すぎる!〟

〝美しい日本の文化「棚田」を守るために、棚田へ行こうよ!〟

といったキャッチコピーが踊ります。

プロのカメラマン:cameramanはダメでフォトグラファー:photographerが棚田を撮影すると、本当に幻想的な風景となります。


じゃらん 観光ガイド「日本の美しい棚田32選」では、美咲(みさき)町・大垪和(おおはが)西の棚田を以下のように紹介しています。

岡山県の中北部、久米郡美咲町の標高400mの山間地に広がる棚田。谷全体にぐるり360度、すり鉢状に42.2ha、850枚の棚田の鎬模様が独特の曲線をもって描き出す景観は見事で、また四季折々に変化する様も美しい。「日本の棚田百選」にも選ばれている。

最近「蕎麦」を食しに近くに出向き、その帰りに立ち寄ってみました。


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では農業、ビジネスとしての「棚田」を考えてみましょう。筆者のようなド素人が考えなくても関係者が既に何百回も検証されていると思いますが...筆者自身の納得のために。

農水省の資料によりますと平成29年の稲の収穫量の全国平均は10a当たり〝534kg〟でした。平成28年は544kgでしたから、まあ平均収穫量は〝540kg〟でしょうか。

大垪和(おおはが)西の棚田の稲の収穫量は、10a当たり420kgだそうです。全国平均の約78%です。この22%を何かの手段で埋め合わせなければ農家の方々の生業が成り立ちません。棚田はsustainableではありません。キャッチコピーの〝掛け声〟だけでは実現しません。

棚田米として25%高く売れればそれも有かな、と思います。「ブランド米」は通常価格の2倍以上で流通してるようですから可能性はあります。

観光棚田で売り出すことも有りですが、田植え前後や稲刈り前の一時期だけでは、集客力が限定されるでしょうね。


もう一つの重要な問題は担い手です。この大垪和(おおはが)西地区もその他の棚田も、担い手の老齢化は間違いなく顕著であろうと思います。

ですから「棚田」を守るために、棚田へ行こうよ!も必要な事でしょう。農繁期だけでも都会から棚田を守る労力として労働力を提供、すなわちボランティア活動をすれば、「棚田」を守ることに貢献できるでしょう。


最後に後ろ指を指されることを覚悟で〝美しい日本の文化「棚田」〟は本当か!?です。

日本だけでなく稲作文化のある所では「棚田」は存在します。

ただ水田が自然保護・環境保全に役に立っているというのはチョットどうかな、と思います。

なぜならば〝畑〟に較べて〝水田〟は自然・環境を破壊し、水平な田んぼを造成しなけれは〝水〟を保つことができませんから...



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備前・旭川の憂鬱 ( 老人会の花菖蒲園 19-60) [日記・雑感]


今の季節の花と言えば〝花菖蒲〟ですよね。老人会が育てた「花菖蒲園」があるというので出かけました。本当にコンパクトな園ですが、びっくりすほど色々な「色」の花菖蒲が鑑賞できました。


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この地区の老人会は、本当によく頑張っていらっしゃると思いました。多分手弁当で...




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備前・旭川の憂鬱 ( 梅雨の近い夕方 19-59) [日記・雑感]


例によって夕方ウォーキング。

〝南〟の空を見上げると、高層の雲と低層の雲が重層して複雑な「紋様」をしています。気持ちの良い微風です。


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〝西〟の空は綺麗な夕日です。photoでは偶々小さいビルに隠れています。梅雨入りが近いせいか、何となく湿度が高いように感じます。


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帰宅後、PC・Edgeの天気予報で状況を確認しました。


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意外にも気温が27℃、湿度が44%、風速が4m/秒、でした。筆者の感覚が完全に間違っていました。



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備前・旭川の憂鬱 ( ロシア「国立トレチャコフ美術館」展 19-58) [日記・雑感]


ロシアの美術館といえば、サンクトペテルブルグの〝エルミタージュ美術館〟ですよね!ところが、モスクワに【トレチャコフ美術館】というロシアの国内絵画に特化した美術館があるのです。

このトレチャコフ美術館はロシア革命後、その所蔵絵画の内、ロシア国内に特化し、その他の海外の画家の作品は、エルミタージュ美術館やプーシキン美術館へ配置換えになった、と入り口の案内板に書かれていました。


岡山県立美術館のHPによりますと、モスクワにある国立トレチャコフ美術館は、創設者パーヴェル・トレチャコフ(1832–1898)によってその基礎が築かれた約20万点のコレクションを有するロシア美術の殿堂です、とあります。

本展では、ロシアの雄大な自然や独特な建築のある景観を描いた風景画をはじめ、日常の何気ない情景を捉えた風俗画やモデルの内面までも映し出したかのような肖像画など、同館の誇るロシア近代絵画コレクションの中から厳選した72点をご紹介します。「ロシアのモナリザ」とも称される《忘れえぬ女》に代表される、ロシア的ロマンにあふれる名画の数々をお楽しみください。

国立トレチャコフ美術館 館長 ゼリフィーラ・トレグーロワ女史は、
日本の皆様に当時のありのままのロシアをお見せしたいと思っております。宮廷生活を描いたものではなく、ごく普通の日常生活、自然、人々の姿形から、ロシアが当時どのようであったかを、これらの絵画作品を通して知っていただきたいのです。
作品の中の空気、風、光、そして人間関係を通じて、人間の素晴らしさと深い精神世界を伝えることができる作品を選んでお送りしようと思います。クラムスコイやシーシキン、レヴィタンと言った画家は特にこうした題材への関心が高いため、今回の日本展では彼らの最も有名な名作のなかでも選りすぐりをご覧にいれます。
と言っておられます。

何れも、岡山県立美術館のHPよりコピペします。

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        クラムスコイ作「忘れえぬ女(ひと)」ロシアのモナリザ


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展示の構成は、

第1章 ロマンティック・ロシア 1-1.春、1-2 夏、1-3 秋、1-4 冬
第2章 ロシアの人々 2-1 ロシアの魂、2-2 女性たち
第3章 子供の世界
第4章 都市と生活 4-1 都市の風景、4-2 日常と祝祭

でして、観覧して初めてこの構成の意図が理解できました。


この展覧会の〝一押し〟は、2-2 女性たち、の中のイワン・クラムスコイ作〝忘れえぬ女(ひと)〟です。「ロシアのモナ・リザ」だそうです。上記入場券をご覧ください。

筆者が注目した絵画は、上記HPよりコピペしました中にあるイワン・シーシキン作「雨の樫林」です。千葉の写実絵画専門美術館「ホキ美術館」の〝写実絵画〟に通じる絵画でして、いつまでも見ていたい絵画です。他にも〝写実絵画〟がありまして癒されました。


同じく上記HPよりコピペしました中にあるアブラム・アルヒーホフ作「帰り道」です。コピペの中には無いのですがニコライ・ワスネツォフ作「トロイカ」があります。何れも昔懐かしい〝歌声喫茶〟で歌われたロシア民謡が聞こえて来そうです。

ボリス・クストージェフ作「干し草作り」ですが、これは安野光雅ではないか!?と一瞬思いました。実物をお見せできないのが残念です。

最後にミハイル・ヤーコヴレフ作「花のある静物」、残念ながら実物をお見せできません。ゴッホを少しマイルドにしたような絵画です。明るい色調でしてロシア人の絵画とは思えませんでした。


天候がはっきりしない少しムシムシした日でしたが、「国立トレチャコフ美術館」展、満足でした。



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