「クルド人」と言われても、ほとんどの日本人にはピンときません。それどころか考える起点さえありません。

ごく最近その「クルド人」がイラクからの独立の可否を問う「国民投票」を実施しと報道されています。

「クルド人」とは、イラク、イラン、トルコ、シリア、アルメニア、の5ヵ国の国境にまたがる山岳地帯に住み、クルド語を話す民族のことを言いまして、この地域を中心に世界各国に在留しています。「居住地図」と「国別居住人口」をご覧ください。

日本にも2,000人いらっしゃいます。ヘーエという感じですが...









筆者は1991年「湾岸戦争」勃発の年、欧州出張となりましたが、その時貴重な経験をしました。「湾岸戦争」で拘束されていたイラクの日本人学校の生徒達が解放され、フランクフルト経由で帰国したのですが、筆者も同便で欧州出張の帰国をしたのでした。

その時の出張経緯を以下のblogにupしています。面倒ですが参照ください。
http://ironbridge-uk.blog.so-net.ne.jp/2014-05-09
http://ironbridge-uk.blog.so-net.ne.jp/2014-05-12

イラクの国内は、①スンニ派、②シーア派、そして③クルド人、からなる国だと判りました。この時初めて「クルド人」を知りました。当時のイラクですが、不鮮明な漫画しか有りませんが大凡の棲み分けをご覧ください。





生半可な知識では以下の通りです。

第一次世界大戦前までは、クルド人のほとんどがオスマン帝国内に住んでいました。オスマン帝国っていうのは、オスマントルコともいいます。その名の通り、トルコ人の国家です。この頃、クルド人による民族運動が高まる時期もありましたが、オスマントルコが厳しい弾圧を行いました。

しかし、そのオスマン帝国も第一次世界大戦にて負けてしまいます。そして、1920年にオスマン帝国は「セーブル条約」という条約のを結びました。これは、オスマン帝国の領土の大半を連合国に分割するといった内容です。その中にはクルド人国家の建設も明記されていました。

そのすぐ後の1922年にケマル・パシャという人がオスマン帝国を倒してトルコ共和国を建てます。それによって「セーブル条約」はなかったことにされてしまいます。これでクルド人国家の建設も白紙となりました。

「サイクス・ピコ協定」によって、第一次世界大戦の勝利国であるフランス、イギリス、ロシアによって恣意的に引かれた国境線は、クルド人をトルコ、イラク、イラン、シリアなどに分断されることになりました。


〝イラクのクルド自治区で9月25日に実施された、イラクからの独立の是非を問う住民投票で、クルド自治政府は9月27日、賛成票は92.73%を占めた。投票率は72.61%でした〟との開票結果が発表されました。

サダム・フセイン時代、クルド人は弾圧されましたが、逆にアメリカが支援していたそうです。イラク国内のクルド人は事実上の独立地域:クルディスタン地域であり、油田を抑えてパイプラインがトルコに繋がっているため収入はありました。ですから現在でも強気の「国民投票」が可能な訳です。

クルディスタン地域は、イラクの北部に設けられたクルド人の自治地域です。その概要は以下の通りです。

首都: アルビール
面積: 40,640 km²
人口: 835万 (2013年)
大統領: マスウード・バルザーニ
政体: 議院内閣制
公用語: クルド語、 アラビア語

この中東地区は歴史、政治、人種、言語、部族等、大変複雑でして専門家でもない筆者の手に負えるようなモノではありません。ですからこれ以上「恥」を糊塗することは止めます。

興味のある方は「『世界の紛争がよくわかる本』毎日新聞外信部」や「酒井啓子『イラクとアメリカ』岩波新書2002」をお勧めします。

イラクのクルド人居住地区:自治区は石油が有りますので、今後とも国際情勢に大きく左右されることになります。(無責任な発言で御免なさい!)