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備前・旭川の憂鬱 (「ラスベガス銃乱射事件」17-50) [日記・雑感]


先日、またしてもアメリカで「銃乱射事件」があり、多数の死傷者が出ました。日本人からすればさっさと〝銃規制〟をすればいいではないか!?と単純に思います。

昔から同じ銃乱射事件が継続して発生していますが、一向に銃規制の「法令化」の気配がありません。一部の銃規制の活動家や芸能人が事件の度に声を上げていますが〝なしのつぶて〟です。

ここ10年間で10人以上の死者の発生した「銃乱射事件」をピックアップして見ました。

銃乱射事件up.jpg


「銃規制」ができない理由は、銃愛好家による市民団体で、事実上の圧力団体である「全米ライフル協会:NRA」の存在だけではありません。アメリカ合衆国の建国にまで遡るようです。よく知られているように、アメリカ国民が銃を持つ根拠となっているのが〝合衆国憲法修正第2条〟でして、「規律ある民兵は自由な国家の安全保障にとって必要であるから、国民が武器を保持する権利は侵してはならない」、と記されています。

アメリカ合衆国憲法制定 (1787) から4年後の1791年に追加された条項です。まだまだカーボーイがインディアンと戦って土地を開拓していた頃のお話しでしょう。この現実を現在でも当て嵌まるのか!?という疑問にかなり適格に説明している投稿をSNS上に見つけましたので、コピペします。


「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」平成29年(2017)10月5日(木曜日)
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 読者の声 どくしゃのこえ READERS‘OPINIONS 読者之声
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(読者の声1)ラスベガスで50人以上の人がまたもや銃の乱射で亡くなったと日本のスコミでも報じています。
3日のNHKテレビではキャスターが「なぜこれほど銃の被害が出ているのにアメリカと言う国は憲法が認めているからと言って、銃の規制をしないのでしょう」といかにも非難めいた口調で報じていました。
実は私もズーット同じように考えていて、アメリカと言う国はなんと暴力的な国だといった感じも懐いていました。
 しかし私が仕事でアメリカに何年か生活した経験ですが、日本でソウ思っていたことは間違いだと思うようになりました。やはりアメリカは日本より圧倒的に広く、人がほとんどいない地域ばかりです。
そこを一人で歩いたりしていて、見知らぬ人に出会うととても怖いのです。おそらく相手もそうなんだと思います。何しろ顔つきがいかにも緊張しているといったふうで互いに行き交うのですから。
まさに荒野で銃を持った男がほかの見知らぬ男に出合う映画のシーン、相手が襲ってくるか来ないのかの緊張するシーンと同じです。
そして互いに「こんにちわ」とか声をかけたり、笑顔で会釈したりするとほっとしたものです。ましてや人里離れた真っ暗な場所(このような場所が日本とは違いやたらに多いのです)に住むことになったら、其れこそ夜などはいつだれが襲ってくるかわからないといった恐怖の念に駆られるのです。
そして「あーそうだったのか!」と日本で感じていたことの軽佻さを恥じたものです。
 つまり安易にそして無責任に「銃規制をすべし」などと環境の全く異なる国に住む人間が、他国の人の生活環境に関して非難めいたことをいうのは間違いなのです。
私は日本のマスコミ人に言いたいのです。
「それならあなたたちもアメリカに行って郊外を散歩でもするなり、人があまりいない地域でしばらく生活をしてみてはどうですか?」と。きっと彼らも気が変わり、銃も必要だと思うようになること請け合いです。(SSA生)


実は筆者も1982年に初めてアメリカへ海外出張に行きました。ワシントンDCの公衆トイレで用を足していました。するとゴッツイ長身の警察官が2人がトイレに入ってきまして、筆者の両側で用を足し始めました。腰には「銃」が見えました。あの時の緊張感・圧迫感は今でも思い出します。


〝合衆国憲法修正第2条〟の修正、銃規制法案は〝日本国憲法〟の改正より困難ではないかと思います。



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