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備前・旭川の憂鬱 (奄美新聞社 鹿児島県「日米共同訓練」取材後記 24-17) [日記・雑感]


暇に任せてネットサーフィンをやっていました。その中の[X:旧Twitter]で、新メレディスさん、が大変興味深い地方紙記事をキュレーションしていました。
新メレディス.jpg

原文は下記URLを参照ください。

『鹿児島県 「日米共同訓練」取材後記 「あなたの意見には反対だが」 自衛官の命は誰が守る』
https://news.yahoo.co.jp/articles/f47a7867601f9db87ac665b728efc7ca3e818119?source=sns&dv=sp&mid=other&date=20240325&ctg=loc&bt=tw_up 
2024/3/25(月) 11:40配信 奄美新聞社


既存のメインストリーム・メディアが、いかに低俗・愚劣かが如実にわかります。新聞発行部数や視聴率低下は当然の帰結である、と瞬時に理解できます。


筆者がこの記事から得たものは、以下の通りです。

〝沖永良部島で初めて行われた日米共同訓練(アイアン・フィスト24)に反対する市民団体に...反対趣旨を尋ねた。要約すると、「同盟国米国の軍事戦略に自衛隊は巻き込まれ、不要な戦争に参戦させられる」「琉球弧の軍備はハワイなど米国領土の安全保障、盾として日本は利用されている」だった。〟

「60年安保」の頃から何ら変わっていませんね(笑)。

記者が〝帰島後、反対派が論拠としている日本国憲法(9条)と集団的自衛権を容認した安保法制(存立危機事態など明記)の各関連文献に改めて目を通した、主張の正当性を確認するための「疑念」とともに。結果、反対派の主張に「確実」に反証できる言葉は見つけられず、解釈ありきの法規を理由に、隊員の「命」が本来の任務とは異なる意味で、危険な状態にさらされる可能性に気付かされた。〟

こんな重要な事実が国会やメディアを含む言論界で議論されたことは、筆者の不勉強も大いにありますが、聞いたことがありません。むしろ「知らぬ存ぜぬ」の頬被りです。

〝自衛官の「正しい」命の保証、そのための憲法と法制の矛盾の解消こそが、まずは必要ではないかと考えた。〟

これも人権・人権と日頃から主張の激しい戦後サヨクの方々の、自衛官に対する〝人権無視〟を強く感じます。

〝彼ら(自衛官)が現在進行形で危険な状況に置かれていることを、負託した国民側が理解に努めることが先ではないか。〟

記者が主張している通りでして、国民各位が自衛官に命の安全を「負託」しているのだから、国民の側が(彼らの)理解に努めることが先である、という〝当たり前〟を記事にしてくれました。



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備前・旭川の憂鬱 (戦争は人を殺すことか!? 24-16) [日記・雑感]


先日、どこかのメディアが自衛隊員に〝あなたは人を殺せますか?〟といった愚問を投げ掛けていました。戦後サヨク殿の迷言に「一人殺すと殺人だ、百人殺すと勲章だ」がありまして、戦前の軍隊を揶揄して来ました。この愚問は、このような発想の延長線上にあります。

筆者の回答は〝殺せます!ただし「外敵」が日本国の領土・領海・領空や主権を奪おうとしたり、日本国民を殺そうとした場合です〟と。

意地悪く追加するとすれば〝メディアのあなたが「外敵」に狙われた場合にも、その「外敵」殺します〟と。


戦時下の殺人に関して、井沢元彦氏が彼の著書『逆説の日本史23 明治揺籃編』 p393‐p297 で興味深い論述をされていますので、そこから引用します。筆者の貧弱な頭では、しっかりと読んでも理解できない部分があります。


(引用開始)
プロテスタント国家における「一般信者が戦える状態」とはどのようなものか。

戦場での実例ではないが、アメリカで最近放映されたドラマの中に実態を彷彿とさせるようなシーンがあったのでご紹介しよう。

ドラマのタイトルは『THE UNIT』CBS制作。兵士ボブ・ブラウンが従軍牧師ランツに疑問をぶつけるシーンがある。

Bob:Well look, the Bible says, thou shall not kill. 〈聖書には汝、殺すなかれ『十戒』とあります〉

Lantz:No, It says, thou shall not murder. Is that a small point? 〈違う、聖書が意味しているのは、thou shall not murder.だ。この違いは些細なものだと思うか?〉

さて、この従軍牧師ランツはこの後どんな論理を展開したか?

いかに戦争とはいえ敵を殺すこと、殺人は許されるのか?

そもそもGodは預言者モーゼに与えた人間がもっとも守るべきルール『十戒』の中で、thou shall not kill. 〈汝、殺すなかれ〉 と命じているではないか。そんな兵士ボブ・ブラウンの問いかけに、従軍牧師レンツはなんと答えたか?

Lantz:It says, thou shall not murder. OK the two words in Hebrew are quite distinct and so the use is quite intentional. Murder is the unnecessary and immoral taking of life. 〈聖書は汝、殺すなかれ、と言っているんだ。わかるか? この二つの言葉 to kill と to murder はヘブライ語では全く異なる。従ってその使い方もかなり意図的に区別されるわけだ。to murder とは不必要に命を奪うことだ。 〉

もちろん、若い兵士は納得しない。

Bob:Well, is the taking the life ever necessary? 〈でも、人の命を奪うことが必要なことなどあるのでしょうか?〉

Lantz:You know that it is. Would you ever kill an intruder that came to your home in the middle of the night to harm your family? Would you? 〈わかっているはずだ。もし真夜中にお前の家に侵入者があり、家族を傷つけようとしたらどうする?〉

Bob:Some say that taking of life is never justified. 〈でも、人の命を奪うことはどんな場合でも正当化されていないと言う人もいます。〉

Lantz:Those people, solder, employ others to protect them so that they will never have to face that choice. Do you hear me? 〈そういった連中は自分たちの身を守るためにカネで他の人間を雇うのだ。そして自分たちは「人の命を奪うという選択」に決して直面しなくて済むようにする。〉
※ 英語の台詞は、米TVドラマ「THE UNIT」CBS制作より引用

従軍牧師が言っている「ヘブライ語では全く異なる」という台詞は嘘ではない。確かにこうした言葉はヘブライ語に存在し、だからこそ英語でも kill と murder という二つの単語があり、例えば He was killed in the war. とか He was killed in a car accident. とは言うが、He was murdered in the war. とはまず言わない。

そう言うとしたら、まさにこの若い兵士が言っているように「人の命を奪うことはどんな場合でも正当化されない」と考える絶対的反戦主義者が「彼は戦争で殺された」と主張する時である。それらは彼らにとって「不必要かつ不正に命を奪うこと」だからだ。

ではこの従軍牧師の論理は完全無欠かと言えばそうではない。若い兵士が言っているように、英語の聖書では「殺すことなかれ」は、not kill であって、not murder では無い。だから一般市民の常識を軍人の常識に変える必要がある。そのために従軍牧師が必要なのだ。

この論理は言うまでもなく諸刃の剣だ。どうもイスラム国:IS にも従軍牧師はいて、若い兵士に「コーランは殺人を禁じているのではないか?」という疑問に同じように答えているに違いない。(以上、引用終了)



21世紀の現在、ウクライナ、パレスティナ、その他世界の各地で戦争が進行中です。ウクライナの地上戦では第一次大戦での悲惨な「塹壕戦」も行われています。パレスティナ・ガザ地区では空爆、地上戦とAi戦が混在して進行中です。何れの戦争には従軍の宗教家がいるのか否かは筆者には判りません。

アフガン戦争では帰国したアメリカ兵に〝心的外傷後ストレス障害:PTSD〟を発症する例が多いと聞いています。戦争は人をころすことか!?といった素朴な疑問に真正面から向き合わなければなりません。

以上述べてきたように、日本は戦場の宗教家を必要としない日本国にしておく必要があります。それを実現するには、自国領土が「外敵」に侵略され、戦禍に巻き込まれないようにしなければなりません。

具体的な対策・措置は、当たり前のことですが、「外敵」に付け込まれない自国の防衛力を構築・維持し、さらにウクライナ戦争でも明らかになったように「集団安全保障」を同盟国・友好国と構築しておかねばなりません。北欧の国々が急遽NATOに加入した事実は大いに参考になります。

そして、あの一色正春氏は以下の様に[X:旧Twitter]に投稿されています。
〝日本が何もしなければ戦争は起こらないと信じて疑わない能天気な人たち。
尖閣諸島や台湾を見ればわかるように、いかに避けようとしても望まないものにも戦争はやってくる。
そして専守防衛=開戦と同時に本土決戦開始です。
全国民が否応なしに戦いに巻き込まれるのが戦争、助かりたければ戦うしかない。〟

結論として『自分の国は自分で守る』ことが基本となりますが、不足分は「集団安全保障」を構築しておくことになります。



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備前・旭川の憂鬱 ([X:旧Twitter]から〝好い〟お話 24-15) [日記・雑感]


ソーシャルメディア [X:旧Twitter] をサーフィンしていました。すると〝佐々木俊尚さん〟の投稿に出会いました。いつも reasonable な投稿でして、今回も筆者には納得のいくものです。

それは「良質の仕事には、それなりの費用が必ずかかる」という当たり前の良識がデフレ後の日本に広まっていってほしい、というものです。

スクリーンショット 409 - コピー.jpg


その元ネタは以下の〝もふもふライオンさん〟の投稿です。そのまま拝借します。画像をクリック頂くと大画面になります。

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筆者の下手な説明は不要です。この嬉しいナラティブは筆者の以前の投稿 https://ironbridge-uk.blog.ss-blog.jp/2024-01-26 に相通じるものがあります。世の中の事象には総てコスト:費用が発生します。〝タダ:0円〟でできるものはありません。



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備前・旭川の憂鬱 (2月末の京都の「珍百景」 24-14) [日記・雑感]


所用で〝コロナ禍〟後、何年ぶりかで京都へ行きました。少し「珍」な風景を見ましたので、ご紹介します。

先ず〝仁和寺にある法師、年よるまで石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、ただひとりかちより詣でけり。〟の「石清水八幡宮」の境内です。

日本酒の菰樽が奉納されているのは、極めて一般的ですが、この右端に SUNTORYのウイスキーの「樽」が奉納されています。土地柄、淀川のお向かいの「山崎」のウイスキーでしょう(笑)。

a石清水八幡宮 - 409.jpg


次が、怨霊の菅原道真公の「北野天満宮」です。参道に「撫で牛」が鎮座しています。〝コロナ禍〟の影響が色濃く反映されています。「撫で牛」の横に、この絵では見難いのですが〝抗ウイルス・抗菌加工を施してあります〟と表示されています。今様と言えば今様ですが、当時も感染症には苦慮していましたので、当時の方々に教えてあげたいと思いました。

b北野天満宮撫牛 - 409.jpg


次が京都地下鉄・東西線の電車の「お守り」です。先ほどご紹介しました「石清水八幡宮」のケーブルカーの「お守り」はさすがに「石清水八幡宮」のものでした。京阪電車の運行です。

ところがこの東西線の電車も京阪電車でしたが、何となんと「成田山」の「お守り」です。これではご利益が消滅するのでは、と心配になります。

c東西線電車のお守り - 409.jpg


最後に「オーバーツーリズム」問題です。早朝の「天龍寺」です。白人系の外国人が梅を愛でているのですが、日本人はマイナーです(笑)。

d天龍寺の観光客 - 409.jpg


2月はさすがの京都も観光客が、TVで放映されているよりは少なめでしたが、それでも10時以降はすれ違う観光客は〝大声・高音・早口〟の集団でした。できれば彼ら無しに、インバウンドが成り立つことを切に希望します。これは京都だけでなく、岡山のような地方都市も同じです。

以上が〝2月末の京都の「珍百景」〟でした。



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