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備前・旭川の憂鬱 (ドイツ人が「無料でも」お茶や水の提供を断る 24-07) [日記・雑感]


「東洋経済オンライン」2024/01/23のDMに興味深い記事が掲載されていましたので、紹介しながら筆者の平素思っていることを綴ります。原文のURLは、https://toyokeizai.net/articles/-/729503 投稿者は、四元伸三(よつもと しんぞう)さんです。

先ずはcaption 『ドイツ人が「無料でも」お茶や水の提供を断るなぜ、サービスを受けるのが当たり前になった日本人』です。


最近TV等のCMで違和感を禁じ得ないのが〝送料は「無料」です〟という文言です。あれだけ【2024年問題】と騒がれているのに〝無神経だなあ!?〟と感じています。CM側は顧客に「サービス」していますよ、と好意的に考えているのでしょう。

さらに言えば、日本を盛り過ぎるYouTubeで、外国人観光客が一般の店舗・コンビニや食事処・居酒屋で〝VIPかと勘違いするぐらいの接待〝いらっしゃいませ/ありがとうございました〟の挨拶を受ける〟とか〝「水」だけでなく「おしぼり」「お通し」まで提供される〟というものです。


この投稿では〝世界を見渡してみると、日本ほど「サービス」の質と量(さらに時間)を担保するためにリソースを注ぎ込んでいる国はめずらしいと気づく。〟と述べています。まさにこのcaption通り、サービスを受けるのが当たり前になった日本人、ということでしょう。

ただ「水」に関してのみ筆者はドイツ人と異なる見解を持っています。確かにヨーロッパでは「水」はビールやジュースと同様「有料」です。それはヨーロッパの水は石灰が多く含まれる硬水で、そのまま飲むとお腹を壊します。ですから軟水処理が必要です。ですから、水は有料になると理解しています。

幸い日本では「名水百選」ではありませが、水資源には恵まれています。もちろん、日本の水道水は高度に処理された水ですから、有料ですが安価と思います。世界でも数少ないtap waterが直接飲料できる国です。ですから、ドイツ人が「無料でも」お茶や水の提供を断る、は少々日本の水事情をご理解されていないのであろうと思います。


「サービス」が脱線して「水」に傾斜しましたので、本論にかえります。

「サービス」という日本語、筆者はなんとなく「サービス」=「タダ:0円」を連想します。

昔々、そうです現在の上皇ご夫妻のご成婚、昭和34年1959年のころ、白黒TVが一般家庭にも普及したと思います。我が家もTVを購入しましたが、その時電気店曰く〝アンテナは「サービス」しときまーす〟という、うろ覚えの会話を覚えています。

また店舗で購入した物品を包装する時〝ギフト用包装をサービスします〟といった会話も聞かれます。同じく、路面店で揚げ物を購入する時〝このコロッケ、1個オマケしておきます〟に〝「サービス」の良い店だね〟といった会話も聞かれます。

これらは何れもcaptionのドイツ人がいうように、「サービス」と云えども無料のはずが無い、とい原理が当てはまります。確かに前述の何れの「サービス」も「タダ:0円」ではできません。本体価格に含まれているか、誰かの財布に転嫁しているのでしょう。


筆者も社会人となり企業で「コスト」を意識する立場になりました。いわゆる原価計算を1回でもやってみると判るのですが、社会や企業で何かをやれば、必ず費用が発生します。広告費・研究開発費と云えども、会計的仕訳は異なりますが、とにかく費用は発生します。

これらの費用は、産油国・資源国のようにお金が湯水のようにある国ではどうするか知りませんが、必ず誰かが負担します。従って前述のドイツ人のように〝お茶も水も不要だからその分を食事代から値引きしてくれ〟となるんです。


最近は「明朗会計」ではありませんが、基本的な仕様でいくら、オプション価格はいくら、となって来ています。筆者は大変良い事と思っています。不要なものは不要ですから、支払う必要はありません。逆に特別の「サービス」、例えば宅配の時間指定にはエキストラ料金を請求しても良いと思います。

黒田前日銀総裁の退任会見でのご発言「ノルム」、コスト構造を明らかにし、日本固有の商習慣「ノルム」を好い方向に改めるtriggerになれば、と思います。

もちろん、筆者のような後期高齢者が、何とか銀座の街のお惣菜屋さんでの〝楽しい会話〟を妨げるものではありません。



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