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備前・旭川の憂鬱 (戦争は人を殺すことか!? 24-16) [日記・雑感]


先日、どこかのメディアが自衛隊員に〝あなたは人を殺せますか?〟といった愚問を投げ掛けていました。戦後サヨク殿の迷言に「一人殺すと殺人だ、百人殺すと勲章だ」がありまして、戦前の軍隊を揶揄して来ました。この愚問は、このような発想の延長線上にあります。

筆者の回答は〝殺せます!ただし「外敵」が日本国の領土・領海・領空や主権を奪おうとしたり、日本国民を殺そうとした場合です〟と。

意地悪く追加するとすれば〝メディアのあなたが「外敵」に狙われた場合にも、その「外敵」殺します〟と。


戦時下の殺人に関して、井沢元彦氏が彼の著書『逆説の日本史23 明治揺籃編』 p393‐p297 で興味深い論述をされていますので、そこから引用します。筆者の貧弱な頭では、しっかりと読んでも理解できない部分があります。


(引用開始)
プロテスタント国家における「一般信者が戦える状態」とはどのようなものか。

戦場での実例ではないが、アメリカで最近放映されたドラマの中に実態を彷彿とさせるようなシーンがあったのでご紹介しよう。

ドラマのタイトルは『THE UNIT』CBS制作。兵士ボブ・ブラウンが従軍牧師ランツに疑問をぶつけるシーンがある。

Bob:Well look, the Bible says, thou shall not kill. 〈聖書には汝、殺すなかれ『十戒』とあります〉

Lantz:No, It says, thou shall not murder. Is that a small point? 〈違う、聖書が意味しているのは、thou shall not murder.だ。この違いは些細なものだと思うか?〉

さて、この従軍牧師ランツはこの後どんな論理を展開したか?

いかに戦争とはいえ敵を殺すこと、殺人は許されるのか?

そもそもGodは預言者モーゼに与えた人間がもっとも守るべきルール『十戒』の中で、thou shall not kill. 〈汝、殺すなかれ〉 と命じているではないか。そんな兵士ボブ・ブラウンの問いかけに、従軍牧師レンツはなんと答えたか?

Lantz:It says, thou shall not murder. OK the two words in Hebrew are quite distinct and so the use is quite intentional. Murder is the unnecessary and immoral taking of life. 〈聖書は汝、殺すなかれ、と言っているんだ。わかるか? この二つの言葉 to kill と to murder はヘブライ語では全く異なる。従ってその使い方もかなり意図的に区別されるわけだ。to murder とは不必要に命を奪うことだ。 〉

もちろん、若い兵士は納得しない。

Bob:Well, is the taking the life ever necessary? 〈でも、人の命を奪うことが必要なことなどあるのでしょうか?〉

Lantz:You know that it is. Would you ever kill an intruder that came to your home in the middle of the night to harm your family? Would you? 〈わかっているはずだ。もし真夜中にお前の家に侵入者があり、家族を傷つけようとしたらどうする?〉

Bob:Some say that taking of life is never justified. 〈でも、人の命を奪うことはどんな場合でも正当化されていないと言う人もいます。〉

Lantz:Those people, solder, employ others to protect them so that they will never have to face that choice. Do you hear me? 〈そういった連中は自分たちの身を守るためにカネで他の人間を雇うのだ。そして自分たちは「人の命を奪うという選択」に決して直面しなくて済むようにする。〉
※ 英語の台詞は、米TVドラマ「THE UNIT」CBS制作より引用

従軍牧師が言っている「ヘブライ語では全く異なる」という台詞は嘘ではない。確かにこうした言葉はヘブライ語に存在し、だからこそ英語でも kill と murder という二つの単語があり、例えば He was killed in the war. とか He was killed in a car accident. とは言うが、He was murdered in the war. とはまず言わない。

そう言うとしたら、まさにこの若い兵士が言っているように「人の命を奪うことはどんな場合でも正当化されない」と考える絶対的反戦主義者が「彼は戦争で殺された」と主張する時である。それらは彼らにとって「不必要かつ不正に命を奪うこと」だからだ。

ではこの従軍牧師の論理は完全無欠かと言えばそうではない。若い兵士が言っているように、英語の聖書では「殺すことなかれ」は、not kill であって、not murder では無い。だから一般市民の常識を軍人の常識に変える必要がある。そのために従軍牧師が必要なのだ。

この論理は言うまでもなく諸刃の剣だ。どうもイスラム国:IS にも従軍牧師はいて、若い兵士に「コーランは殺人を禁じているのではないか?」という疑問に同じように答えているに違いない。(以上、引用終了)



21世紀の現在、ウクライナ、パレスティナ、その他世界の各地で戦争が進行中です。ウクライナの地上戦では第一次大戦での悲惨な「塹壕戦」も行われています。パレスティナ・ガザ地区では空爆、地上戦とAi戦が混在して進行中です。何れの戦争には従軍の宗教家がいるのか否かは筆者には判りません。

アフガン戦争では帰国したアメリカ兵に〝心的外傷後ストレス障害:PTSD〟を発症する例が多いと聞いています。戦争は人をころすことか!?といった素朴な疑問に真正面から向き合わなければなりません。

以上述べてきたように、日本は戦場の宗教家を必要としない日本国にしておく必要があります。それを実現するには、自国領土が「外敵」に侵略され、戦禍に巻き込まれないようにしなければなりません。

具体的な対策・措置は、当たり前のことですが、「外敵」に付け込まれない自国の防衛力を構築・維持し、さらにウクライナ戦争でも明らかになったように「集団安全保障」を同盟国・友好国と構築しておかねばなりません。北欧の国々が急遽NATOに加入した事実は大いに参考になります。

そして、あの一色正春氏は以下の様に[X:旧Twitter]に投稿されています。
〝日本が何もしなければ戦争は起こらないと信じて疑わない能天気な人たち。
尖閣諸島や台湾を見ればわかるように、いかに避けようとしても望まないものにも戦争はやってくる。
そして専守防衛=開戦と同時に本土決戦開始です。
全国民が否応なしに戦いに巻き込まれるのが戦争、助かりたければ戦うしかない。〟

結論として『自分の国は自分で守る』ことが基本となりますが、不足分は「集団安全保障」を構築しておくことになります。



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