海外出張1997年<アルゼンチン・ブラジル>(その2・最終) [日記・雑感]
このコラムは海外出張で経験した事で、記憶している内容を記載しています。
今回は再度、アルゼンチンです。
サンパウロからアルゼンチン・ブエノスアイレスEZEエゼイザ空港までARG:Aerolineas Argentinas航空で約3時間です。 空港に降り立ちました。 7年前と異なり、何だか落ち着いた感じです。 カービン銃の軍の立哨も有りません。 空港の周辺にビルが多く立ち並んでいました。 7年前は本当に田舎の寂しい感じでした。
当日の夜の食事に、「タンゴのショウ」を見に行くことになりました。 言わなきゃよかったのですが、ついつい前回は仕事のみだった、と呟いたものですから...タンゴ・ショウは夜の9時位から始まります。 その前にショウのあるハウスで、ビーフ・ステーキの食事です。 高級な店もあるのでしょうが、観光地の大きなレストランといった感じでした。
ブエノスアイレスの、このようなハウスで踊っている踊り子さんは「二流」だそうです。 「一流」は欧米で稼いでいるのだそうです。 でもショウは初めての所為でもあり、素晴らしい情熱的なものでした。 ステーキは大雑把ですが、食材としての肉が上等なのでしょう、とっても美味でした。
2日間の仕事を終え、夕方のフライトで、地球の裏側から脱出です。
2008年リーマン・ショックから、またまたアルゼンチンは経済危機を迎えていますが、1997年頃は比較的落ちつていました。 通貨もARS:アルゼンチン・ペソが流通していました。 でも危ないので、必要最小限の、現地通貨への両替が良いと思います。 このような通貨不安がある国では、できるだけクレジット・カード決済をお勧めします。
空港で残ったペソを叩くために、無理やりお土産を買いました。 ビスケットの詰め合わせ缶です。 フライトは、一旦サンパウロ、そこでトランジットです。 例のJALとヴァリグ・ブラジル航空のco-operation共同運航便で、LAX経由NRT成田です。 JALでbookingしていますので、CAはJALです。 暇なもんですから、JALのCAと雑談をしました。 職務規定的に適法か否かはわかりませんが...
機内食で「ざるそば」が出ました。 もしもヴァリグbookingでも「ざるそば=JALそば」が出るのか、とたわいのない話をした記憶があります。
そのCAが云うには、先日のブラジルからの日本人客は、食事の時「醤油」が欲しいと、ガブガブと飲んだそうです。 多分長期出張で、日系人の多いブラジルでも日本食にあり付けず、日本の味の象徴である「醤油」が全くなくて、目の前を「醤油」飛んでいたのだと思います。 このような人たちの〝おかげ〟で、今の裕福な日本が有るのです。
今回はここまでです。 次回からは本当に東南アジアです。
※できれば、1枚ぐらい「photo」を挿入したいのですが、当時はデジカメが有りません。 フィルムのコンパクトカメラが主流でした。 スキャナーを持っていますので、アップ・ロードしようかな!?とも思いましたが、textのみとします。
2014-05-24 20:47
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