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備前・旭川の憂鬱 (「政」まつりごと の基本は治水 18-75) [日記・雑感]


平成30年7月西日本豪雨で岡山県内の複数の河川で堤防が決壊し、各地で甚大な被害が出た事は、いやとなる程報道されました。

しかしながら、旭川(あさひがわ)下流の岡山市街への氾濫被害は免れました。百間川(ひゃっけんがわ)が放水路の役割を存分に果たし、旭川(あさひがわ)の水位が下がったからです。

地方紙、山陽新聞の2018年(平成30年) 8月17日の31面に大変興味深い記事が掲載されていました。以下同紙を参照します。

百間川は以下の漫画図と記事を参照ください。江戸時代初期に岡山城下を水害から守るために造られました。

地図 - upload.jpg


百間川歴史upload.jpg



国土交通省岡山河川事務所は2014年10月から旭川(あさひがわ)から百閒川への分流部の改修に着手、「二の荒手」の改修は2017年6月に完了し、同年10月から「一の荒手」の改修に取り掛かりました。

工事は土砂を取り除き、水が流れ易いよう越流部を「1.1m」切り下げたほか、花崗岩の底部をコンクリートで補強するなどし、今年7月5日までにほぼ終了した。

雨脚が強くなったのは翌6日からで、同日未明より「一の荒手」の越流が始まり、分流部は最大秒速4,500ton だった旭川(あさひがわ)の流量の内、同1,300ton が百間川に流れ込み、旭川(あさひがわ)の水位が「1.5m」低下したそうです。

分流部upload.jpg


同整備局は「百間川がなければ岡山市街地は約450 ha に渡って浸水し、約5,000戸が被害を受けたであろう」と。その時の「一の荒手」の越流状況と水が引いた後の平時の状況をご覧ください。

Jul.06,'18 - upload.jpg


政(まつりごと)は治水、すなわち土木技術が大切です。土木は〝civil〟です。それを展開して〝civilization〟は「文明」です。ですから治水は文明なのです。洪水が発生するのは、政(まつりごと)の怠慢でして、文明が欠落している事になります。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典web版の解説によりますと、

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平地での生活を行うようになって以来,人類はときに増水して氾濫する川との戦いを余儀なくされ,治水事業に重大な関心を払ってきた。

すでにエジプトでは前 2000年頃の中王国時代からモエリス湖を貯水池として利用することによりナイル川の水を調節することを行なっており,インドや中国でも古代から大規模な治水事業が行われている。

日本では鎌倉時代以後,特に戦国大名たちによって本格的な治水事業が行われた。武田信玄,加藤清正,豊臣秀吉らが治水に努めたことは有名であるが,彼らの治水技術は,水勢に逆らわない洪水遊水策であった。
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日本国の土木技術は〝世界最先端〟ですが、事業形態は江戸時代と変わりません。談合や山吹色が飛び交うように思います。最近でもリニア新幹線で顕在化しましたね。

この「談合」は聖徳太子の「十七条憲法」に第一条 に〝人と争わずに和を大切にしなさい〟と最後の第十七条に〝大事なことは一人で決めずに、必ず皆と相談しなさい〟とありまして、意地悪く解釈すれば「談合」は日本人のDNAに埋め込まれているのでなないかと思います。これは井沢元彦著「逆説の日本史」で詳しく論じられています。

小泉政権時代、GDPに占める土建セクターが10%もある、先進国は3%程度だ、という理屈で大幅に削減されました。これにより中小の土建業者は廃業や転業を余儀なくされました。これに追い打ちをかけたのが、ご承知の民主党政権時代の「事業仕分け」です。


この様に「政(まつりごと)」は本当に大切です。くれぐれも〝オールド・メディア〟に煽られないようにしましょう。



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