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備前・旭川の憂鬱 (【プラン75】 22-36) [日記・雑感]


新型コロナウイルス、ここのところ第7波とかでして、映画〝プラン75〟を見に行きたいのですが、老人である筆者は安全を期し自宅待機です。


実は以前も趣旨が全く異なる投稿でしたが、人の命は本当はどの程度重いのか!?という課題です。それは昔々1977年バングラデシュで起きた日航機ハイジャック事件、いわゆる「ダッカ事件」でした。

 当時の福田赳夫首相は「一人の生命は地球より重い」と述べて、身代金の支払い、および超法規的措置として、連合赤軍の収監メンバーなどの引き渡しを行うことを決めました。

衆議院議員で運輸政務次官、石井一団長(今年06/04、87歳でお亡くなりになりました)当時43歳は、政府の派遣団長として現地入りし、犯人側連合赤軍と交渉して乗客を救出しました。

筆者が引っ掛かたのが「人の命は地球より重い」は本当か!?です。その後、徒然なるままに今日まで来ました。


最近、【プラン75】という映画が上映されていることを知りました。その映画のHPより引用します。

〝75歳以上が自らの生死を選択できる【プラン75】。〟

実は筆者の考えていたことの一つの回答のようにも思えました。【プラン75】は「人の命は地球より重い」の対極にある考え方です。二昔前のSF映画のようなものにも思えました。

〝この架空の制度を媒介に、「生きる」という究極のテーマを全世代に問いかける衝撃作が誕生した。〟と続きます。


その内容は、

〝少子高齢化が一層進んだ近い将来の日本。満75歳から生死の選択権を与える制度【プラン75】が国会で可決・施行された。様々な物議を醸していたが、超高齢化問題の解決策として、世間はすっかり受け入れムードとなる〟

そうでしょうね、筆者も来年は75歳になります(笑)。


〝当事者である高齢者はこの制度をどう受けとめるのか?若い世代は?【プラン75】という架空の制度を媒介に、人は何を選択し、どう生きていくのかを問いかける作品が誕生した。〟

と来ます。この映画の早川千絵監督は、

〝「2000年代半ば以降、日本では自己責任という言葉が幅をきかせるようになり、社会的に弱い立場の人を叩く社会の空気が徐々に広がっていったように思います。〟

ここまでは、筆者の考えている人の命と相入れます。ここからは、 早川千絵監督の弱者は筆者の定義と変わります。

〝そして2016年、障害者施設殺傷事件が起こりました。人の命を生産性で語り、社会の役に立たない人間は生きている価値がないとする考え方は、すでに社会に蔓延しており、この事件の犯人特有のものではないと感じました。政治家や著名人による差別的な発言も相次いで問題になっていましたし、人々の不寛容がこのまま加速していけば、【プラン75】のような制度は生まれ得るのではないかという危機感がありました」と振り返り、「そんな未来は迎えたくないという想いが、この映画を作る原動力となりました」と制作意図を明かす。〟

ここの部分は、筆者も全く異論はありません。仰る通りと思います。しかし、健常者といいますか、一般人の命に関しては、少し様子が異なります。


既に〝安楽死・尊厳死〟【プラン75】が、出羽守ではありませんが、欧州の一部の国、例えばリベラルの誉れ高いオランダ、ベルギーやスイスでは、もちろん条件付きではありますが、認められています。日本人の方も確か10数年前にオランダで〝安楽死・尊厳死〟を迎えられた方もいらっしゃいます。

安楽死・尊厳死はオランダやベルギーなどで認められているし、スイスでは70年以上前に自殺ほう助が合法化されたそうです。国外の居住者を受け入れる団体があるのもこの国が特異たるゆえんで、毎年、多くの人が最期を迎えに国境を越えてやって来るんだそうです。

日本で安楽死・尊厳死は認められていません。それは前述の「人の命は地球より重い」と関連しているのではないかと思います。「人の死」は、その方の死生観、人生観、価値観、宗教観、と密接に関わっていますので、他人がどうのこうの言えたものではありません。ここの所はしっかりと確認しておかなければなりません。

それでもやはり、人生100年時代だからこそ、「人は生き続けなければならないか?」という課題は避けて通れません。



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