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備前・旭川の憂鬱 (「立憲主義」と「積極的平和主義」  23-22) [日記・雑感]


ウクライナ戦争、いよいよ泥沼化で長期戦の様相です。『アベガー』的な方々からは、一つ前の投稿でも紹介しましたが、「一刻も早く戦争を止めてくれ、自分や自分の大切な人たちの命の方が大切だ。」という考え方です。ここでの〝戦争を止めてくれ〟の対象はロシアではなく、どうもウクライナのように感じます。

ここは一度〝そもそも論〟に立ち返らなければなりません。両国間の長い歴史を議論するのではなく、2022/02/24に立ち返ると、そもそも「力による一方的な現状変更」を行ったのは「ロシア」です。これは国連憲章/国際法違反で異論がないと思います。

ロシアは2014年にもウクライナ領のクリミア半島を、狡猾にもロシアに併合した成功体験があったのです。夢よ!もう一度だったのでしょう。

ウクライナは一方的にロシアに主権・領土や財産を奪われている訳ですから、これに対抗するのは自然の摂理ではないかと思います。まさに「自衛権の発動」です。

それにも関わらず、何故『アベガー』の方々は〝戦争を止めて「命」を優先しろ〟と主張されるのか?です。これは論理が逆転していまして、ウクライナは一方的にロシアに攻められたから「命」を賭してまで主権・領土・財産を守ろうとしているのです。


『アベガー』の方々のお考えは、やはり戦後一貫して日本のアカデミア、ジャーナリズムの根底にある太平洋戦争への「贖罪意識」と、「軍部が暴走した」から戦争が発生した、にあると思います。筆者は「贖罪意識」は一理あると思いますが、「軍部が暴走した」から戦争が発生した、は大いに疑問があります。

軍部を暴走させたのは、国民の熱狂と、それを例えば〝鬼畜米英〟〝進め一億火の玉だ〟〝欲しがりません、勝つまでは〟と煽ったジャーナリズムと思います。

贖罪意識はその後、「非武装中立」で「一国平和主義」を、軍部の暴走は「立憲主義」を生成しました。その集大成が、「日本国憲法前文」と「第九条」です。

これらの考え方は、東西冷戦時やその後のアメリカ一国覇権時代は、日本国内だけに限定すれば〝矛盾なく?〟流通できました。しかしながら、その間、一歩でも海外に目を向けますと、これらの考え方とは全く異なりまして、世界は一貫して〝戦争だらけ〟で〝矛盾だらけ〟でした。

この「立憲主義」と「憲法9条」のおかげで、日本は平和であった!というのは、前述のごとく〝たまたま〟地理的環境が日本に好都合だったに過ぎません。それと『アベガー』的な方々からは非難されると思いますが、[集団的自衛権] である「日米安全保障条約」の存在が大きいと思います。

今までは「日米安全保障条約」があるから戦争に巻き込まれる、といった論調が一定数ありました。今回のウクライナ戦争で証明されたように、[集団的自衛権] であるNATOに加入しておれば、ウクライナはロシアの侵攻を防ぐことが可能であったと思います。

援用として、ロシアの侵攻後、中立国であった〝出羽守〟の大好きな北欧の国々が急遽NATOへの加入決定や、加入準備をしています。


東西冷戦終結や昭和時代の終わりの頃、1989年頃を境に〝日本国周辺〟のチャイナ、北朝鮮、そしてその後再びプーチンのロシアが〝軍事的〟に台頭しているにも関わらず、その現実を野党・アカデミア・ジャーナリズムはことごとく無視し続けてきました。日本国は〝憲法9条〟があるから、外国から侵攻されることは無い、というフィクション・虚構でした。

このような一部の「戦後レジーム」勢力から毛嫌いされたのが安倍晋三元総理、そして麻生太郎元総理です。特に安倍晋三元総理は〝戦後レジームからの脱却〟を強く訴えておられましたので、いわゆる『アベガー』勢力からは徹底的に危険視されていました。

その〝戦後レジームからの脱却〟の具体論と筆者は思っているのですが、日本国を「立憲主義」ではない、海外にも目を向けた発想、それが麻生太郎元総理が2006年に提唱された〝日本外交の新機軸「自由と繁栄の弧」の形成:Arc of Freedom and Prosperity: Japan's Expanding Diplomatic Horizons〟です。

外務省のサイト https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/2007/html/h1/h1_01.html をご覧ください。その具体的な構想は以下の絵図をご覧ください。

自由と繁栄の弧.jpg

これをご覧の方はびっくりするのではありませんか。それは習近平が2013年に初めて打ち出した構想の「一体一路構想」と同じです。パクリといっても過言ではありません。

麻生太郎さんもメディアに、兎に角訳もなく叩かれました。こんな壮大で日本人を鼓舞する構想を提唱したものですから、それこそ「戦後レジーム」とっぷりのメディアはついていけなかったのでしょう。


もう一つが安倍元総理が2013年に提唱された「積極的平和主義:proactive contribution to peace」です。

内閣官房の公報では、〝「積極的平和主義」は、国民の生命を守りつつ、世界の平和と安定のために積極的 に取り組んでいくことであり、積極的平和主義にのっとって、私たちの身の安全と 財産が脅かされないようにすることが安全保障の役割です。 安全保障を進める ことにより、日本や世界の平和が脅かされるのを未然に防ぐことにつながります。〟とあります。

外務省のサイト https://www.mofa.go.jp/mofaj/p_pd/dpr/page1w_000072.html で詳細を見ることができます。

大荒れに荒れた2015年の「安保法制」、安保法は「立憲主義」に反し憲法違反です、と『アベガー』は叫びました。この安保法制があったからこそ、今回の理不尽なウクライナ侵攻に対して、日本はささやかではありますが、非殺傷装備品を送ることができました。

またウガンダの内戦にも邦人救出のために、速やかに自衛隊機を派遣(派兵ではない)することができました。


以上の様に、現在の世界情勢は机上の抽象論「立憲主義」では、日本国を守ることはできません。やはり「積極的平和主義」で行くしかありません。

最後に、ウクライナ戦争は「力による一方的な現状変更」を行った権威主義の国「ロシア」に起因していることを再確認しなければなりません。

そしてロシアを許容することは、綻びが目立つ自由と民主主義ではありますが、基本的人権、法の支配、市場経済といった「普遍的価値」を放棄することになりますので、ウクライナを支援しなければ、と思っています。

今日の世界は高貴な本能を大切にしてくれるような綺麗な場所は無い。
「日の名残り」カズオ・イシグロ



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