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備前・旭川の憂鬱 (「議論できる憲法改正(その3)」 18-97) [日記・雑感]


「篠田英朗さん」の日本国憲法への考え方を筆者が勝手に理解した範囲でご紹介します。

篠田英朗さんは、東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授をされています。1998年、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)よりPh.D.(国際関係学)取得されています。『平和の構築』がご専門です。『集団的自衛権の思想史_憲法九条と日米安保』や『本当の憲法_戦後憲法学批判』を上梓されています。

篠田英朗さんも前稿の伊勢崎賢治さんと同様「国際法」順守のお考えです。そして日本国は〝国際社会の一員として行動をとるべき〟ですから「一国平和主義」はあり得ない、と主張されています。



では篠田英朗さんの主張です。少々脈絡がないことをお許しください。

日本は「国連憲章」の枠組みの中で行動するのが大原則である。しかし、日本の憲法学者はほとんど「国際法」を勉強していない。だから国内での憲法解釈と、国際法や国連憲章の主張している事に齟齬が発生する。

日本国憲法の問題は文章・テキストに「矛盾・無駄」が多い。〝憲法学通説〟では、憲法そのものより特定の〝解釈〟が優先されるのが問題だ。そろそろ「憲法解釈の確定」するために改憲が必要だ、と主張されています。

「解釈」によって日本国憲法は紆余曲折してきていて本質が見えなくなっている。もっと日本国憲法・前文を素直に、GHQのドラフトの英文も併せて読んで欲しい。意図的誤訳も散見されるが、そこには大原則である〝人類普遍の原理〟が書かれている。

実は憲法学者の全員が同じことを言っている訳ではないが、普通の学会から考えると異様なぐらいに一つの意見にまとまって〝通説〟を作っている。

例えば、〝憲法学通説〟の「立憲主義」は権力を縛ることだ、というのはやや一面的で穿ち過ぎで曲解した言い方だ。

憲法は果たして本当に「立憲主義」を命じているのだろうか?憲法を何度読み直しても「集団的自衛権」が違憲だとは書いていない。また憲法は、政府を制限しなければならない、という命令を国民に出しているとは思わない。

憲法の専門家は正しい、と主張し国民から乖離しているように見受けられる。

さらに、日本国憲法を〝素直に、論理的にしっかり読むべき〟であり、現状は穿ち過ぎる読み方だ。今こそ「憲法解釈の確定」は必要だ、とを強く仰っています。


現行の日本国憲法・前文と、9条をご覧ください。英文はGHQドラフトより篠田英明さんが引用されたものです。

前文.png


国際社会の正当な一員として国際法秩序をしっかりと守り、むしろ国際法秩序を展開のために貢献をする国になって、生まれ変わり皆と仲良くやって行きたい。そのための「原則」を書いたのが日本国憲法・前文です。

憲法9条(現行).png


日本国憲法・前文から9条が出来ている。9条は全文と同じことを書いただけである。

日本国憲法が発効した当時、日本は国連未加入でした。その後国連に加入し「国連憲章」を批准したのだから、9条を廃棄しても別に困らない。

日本国憲法第98条2項に〝日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする〟とあり、日本国憲法と同じ効力で国連憲章を批准している。


「国連憲章」の「戦力:war potential」とは〝戦争目的とした潜在力は持たない〟という意味であるから、国際法で認められている自衛権を正当に行使するための組織である「自衛隊」は「戦力:war potential」ではない。

国際法上「戦争」とは、国連憲章2条4項の〝武力による威嚇又は武力の行使〟を指す。

国連憲章 第7章「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動」であって、強制措置を発動することはやむを得ない、例えば北朝鮮に制裁を発動してでも、高次元の平和を求めて行く事が大事だと、国連憲章体制で皆が考える場合はそれに従うのが原則である。

国連憲章 第51条〔自衛権〕には、条件付きでは有るが、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない、と明記されている。

すなわち、「自衛権:self-defense」は合法、「戦争;war」は違法である。


「戦力:war potentialの不保持」および「交戦権:rights of belligerencyの否定」、これに対応する「国連憲章」の文言はない。特に9条2項は〝大きなお世話〟である。

交戦権:rights of belligerencyという権利は本来ない。ですから否認してもしなくても、国際法上は関係ありません。無いモノ、存在しないモノは否認しようがない。伊勢崎賢二さんと同じご意見です。

「戦争」が違法であったり、合法であったりすると考える人達がいる。〝合法な戦争〟というのは主権国家では、宣戦布告すると発生するものだと考えて、「宣戦布告するのが〝交戦権:rights of belligerency〟」であると思っている人達がいる。これがないと「侵略戦争」になっても、武器を持って侵略者に歯向かってはいけない、と信じ難い曲解をしている人達がいる。



現行の日本国憲法は、芦部信義(あしべ のぶよし)の憲法〝解釈〟が日本の法社会を支配しているとか。

芦部は次のように解釈します。冷戦体制下でも、どちらの〝同盟〟にもつかず、中立外交すべきと表明、そして〝公平〟は全方位外交、および全面講和を求めて、中立的に振舞うことであると〝解釈〟した。

確かに、日本国憲法には何処にもこんなことは書かれていない。「ドイツ国法学」の観念に基づいた抽象的な、現在の国際法が否定している概念を「解釈」として振りかざしているように見える。昔の憲法学者はドイツ留学者が多かったそうです。



以上筆者なりにpoorな脳みそでまとめてみました。

❖ 早期に〝憲法解釈を確定〟しなければならない。この〝確定〟には、憲法改正も視野に入っている。憲法の解釈を確定させるために、拙速かも知れないが、『9条に3項を追加』することもやむを得ない。(筆者の考えと異なります)

❖ 「人類普遍の原理」はリンカーン・ゲティスバーグ演説 1863年の前半の内容の言い換えであろう。そう日本国憲法を読むのが、最も素直な文章の読み方と思う。

❖ 日本国憲法・前文に〝平和を愛する諸国民(peace-loving peoples) の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した〟で〝平和を愛する諸国民〟はおかしいのではないか?という意見が聞かれる。

筆者も〝おかしい、削除すべき〟と同感でしたが、この文言は「大西洋憲章(※)」にもあり、国連加盟国を〝平和を愛する諸国民(peace-loving peoples)〟と言っている。チャイナや北朝鮮を示唆しているのではありません。確立した言い方であって正当な文言だそうです。

(※) 大西洋憲章とは1941年8月、大西洋上で行われた、アメリカ大統領F.ローズヴェルトとイギリス首相F.チャーチルの会談で合意された、第二次世界大戦後の連合国の戦後処理構想、国際協調のあり方についての宣言である。この第8条に平和を愛する諸国民(peace-loving peoples)〟が提示されている。



筆者の意見は、先ず「現代日本語」に変換すべきです。現行憲法は日本語で書かれていません。中学3年生か高校1年生が読んでも、歴史を紐解くことなく理解できる文言に改めるべきです。文言の概念定義が不明確です。

憲法9条は〝2項は削除〟し、自民党改正案の〝自衛権はこれを妨げない〟を2項として挿入です。

それに伊勢崎賢二案と篠田英朗案を入れて「再構築」すべきですが、これは相当時間がかかります。



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