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備前・旭川の憂鬱 (なぜ民主主義は苦境にあるか、いかに解決するか 20-09) [日記・雑感]


トランプ大統領の誕生以来、従来から云われてきた「民主主義は死んだ」とか「ポピュリズムに民主主義は殺された」とか、の声が以前にも増して大きくなっています。ただ非難の言語が激しいのでチョットどうかな?本質は外れているな!とは思います。

ドイツでは2020/02/05「自由民主党 FDP」所属ケンメリヒ氏が旧東ドイツ・テューリンゲン州首相に選出されました。がしかし、「国政与党のキリスト教民主同盟 CDU」と右派「ドイツのための選択肢 AfD」の支持で当選がケシカランとの世論の声を受け、ケンメリヒ首相は02/06、辞任と州議会解散の意向を表明しました。

南アフリカを国賓訪問中のメルケル首相が、自身の母体政党であるCDUがAfDと手を組んだことについて「許されない」と非難、撤回を要求するなど政治的な混乱が広がっています。筆者はドイツの法律や選挙法は全く知りませんが、法的には問題ないようです。
 
イギリスではご案内の通り、Brexitで国論を二分する混乱が3年近くも続き、昨年末の総選挙でやっと結論が出されました。「民主主義の母国」と言われる国での混乱に〝一体全体「民主主義」とはなんなんだ!?〟と考えざるを得ませんでした。

結局、結論を出すためにテリーザ・メイ前首相の生首を差し出しました。これも民主主義のコストなんですかね。

フランスでは「黄色いベスト運動」が長期に継続しています。【年金改革】で論争が起きています。日本とはかなり異なる年金制度のようですが、支給年齢を上げる点では同じです。

民主的と思われる決定も受け入れられない、という事です。フランス国鉄SNCFのストで国民生活が困っている、とメディアでは報じられています。日本と異なり、スト参加者が〝暴徒〟になるという事です。1970年代以前は、日本でも破壊活動を伴うストが発生していました。

アメリカでは大統領選挙が進展していますが、相変わらずの堂々巡りの議論です。アメリカも1776年の独立宣言以来、自由と民主主義、法の支配、自由主義経済の〝旗手〟として世界の秩序を〝軍事〟を伴い引っ張って来たはずですが、ナンシー・ペロシー下院議長の行動を見るとアリャリャです。

トランプ大統領も〝選挙公約を実行するんだ〟と意気込むことは、民主主義を体現するには正当かも知れません。しかし、彼は〝無意味で無駄な些事〟が多すぎます。少し前の日本のベストセラー流にいえば「国家の品格」が無さ過ぎます。

日本では相変わらず〝アベガー〟です。確かに長期政権で、何だか疲れて来たなあ、飽きて来たな、とは思います。

この数年、安倍政権を攻撃して来たスキャンダルは週刊誌ネタが中心です。野党はその下請けをやっているに過ぎません。まあ問題はありません。「桜」も極めて厳密に法律に当て嵌めると公職選挙法違反かも知れませんが、大した問題ではありません。

唯一例外は「日本共産党」が発掘したと思われるカジノに関する違法献金、それも外国資金の流入です。これは日本の民主主義を大きく揺るがす〝大事件〟です。当事者は即刻辞任モノです(怒)。
現状は〝容疑者〟ですが...



そんなこんな事を考えていました。するとGerald F. Seib氏、WSJのチーフコメンテーターの興味深い投稿を見つけました。The Wall Street Journal 2020/01/21 https://jp.wsj.com/articles/SB10043423318217253417304586151452367319320

民主主義は決して政府の最良の形態を意図したものではなかった。むしろ民主主義の美徳は単に、統治される側の利益を統治する側の利益より優先することにある。

しかし今日、世界中の民主主義国家は通常よりも混乱し、機能が低下しているように見える。独裁的リーダーら(筆者注:プーチンを具体的に指摘しています)がこうした傾向を声高に指摘し、そこにつけ込もうとする一方で、民主的リーダーらは何かが軌道を外れてしまったのではないかと思案に暮れている。

そしてアメリカ、カナダ、インドの民主主義の現状を述べ、

民主主義の苦しみの理由を一言で説明することはできない。いくつかの要因が重なり合い、結合力のある社会や連立政権を生み出すことがより困難になっているのだ。

西側の民主主義国では、2007年に始まった金融危機によって打撃を受け、着実で公平な経済成長を監督する政府の力への信頼が失われた。この危機により、経済のグローバル化が経済のはしごの最上層にいる人たちにとって有益であるのと同様に、中間層や下層にいる人たちにとっても有益だとの考えへの信頼も失われ、一部の米国人に自分たちの悩みは政策立案者らにとってほとんど重要でないと思わせる結果となった。

外交問題評議会(CFR)のリチャード・ハース会長はこう述べた、とあります。

現在は小さなコミュニティーを形成する能力が事実上無制限になっている。このため国家的なコミュニティーの形成が一層困難になっている。

こうした心理は、ポピュリズムとナショナリズムの台頭を後押しした。ポピュリストの運動は、民主主義社会のエリートに対する怒りと恨みを煽り...民主主義社会が育むはずの幅広い中間層から人々を引き離し、より小さな基盤に依存する政府を誕生させる。この結果、統治する側が効率的に業務を遂行することがより困難になる。

そして独裁国家の指導者が以下のように行動しているようです。

権威主義的な政府、とりわけロシアと中国の政府は、こうした傾向が西側の民主主義の欠陥の兆候だと指摘するにとどまらず、その問題を悪化させるような手段を講じている。

トランプ大統領のロシア問題やウクライナ問題もこの辺りと関係が在るのかも知れません。日本も例外ではないと思います。そしてSeib氏は以下のように結論付けています。

究極の処方箋は、民主的に選出された指導者たちが、選んでくれた人々だけでなく、政治的分裂の反対側にたまたま位置する人々の声にも、より真剣に耳を傾けることなのかもしれない。



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