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備前・旭川の憂鬱 ( 欧州への過剰な美化・その2 19-03) [日記・雑感]


理想化されているのは、どうやらドイツだけではないようです。

『「お手本の国」のウソ』 田口理穂(タグチ・リホ) ほか より引用します。

田口理穂さんはジャーナリスト。地方紙記者を経て、1996年よりドイツ在住。州立ハノーバー大学社会学修士号取得されています。


「フィンランドは世界一の教育大国」
「フランスは少子化問題を乗り越えた」
「ドイツは戦争責任にカタをつけた」……日本人が理想視する「お手本の国」

には、知られざる別の顔があった。もてはやされる制度や手法が、その副作用ゆえに「嫌われモノ」というのは序の口、実は存在していないなんてことも! 各国に長年暮らす日本人七人が打ち明ける、“隣の芝生”の本当の色とは。


『「お手本の国」のウソ』という本から、少子化を乗り越えた国として挙げられるフランスについての記述を一部抜粋する。

いつまでもパートナーに「異性」として魅力的に映るように努力しています、というようなことを、日本の雑誌に出てくるフランス人やフランス人パートナーを持つ日本人などが発言するのは時々見るけれども、それはどうも日本のメディアがそういう返答を求めるので、つい合せてしまっている例が多いのではないかと、私は自分が取材された経験や、自分が取材したほうの経験も振り返って、そう思う。〔中略〕

「フランスに学ぶ恋愛作法」のようなものは、フランスの現実よりも日本の人たちの夢を具体的に描いたものだと思う。そこには、こういう風にしたら恋人同士、夫婦はうまくいく、といった知恵や希望が込められている...フランス人たちの素の姿を知ろうと思うなら、その種の本はあまりあてにならない。



学力水準が世界トップレベルのフィンランドの教育方法『フィンランド・メソッド』についてはこうだ。

フィンランド人の夫と結婚し、在住7年になっても、こういったギャップに日々驚かされながらフィンランド発の情報を日本に伝えようと試みているわけだが、この所この国の良いところばかりが注目を浴びていることに正直、戸惑いも覚えている。〔中略〕

実際にフィンランド・メソッドについて地元のフィンランド人に聞いて見ると、誰も知らない。それもそのはず、フィンランド・メソッドとは、在フィンランド日本大使館の元職員・北川達夫氏がフィンランドの教育の特色をまとめたものに対して付けた、日本独自の名称なのだ。(筆者注:ベルギーのフランダースの犬と同じか!?)

思い切って私見を述べると、北川氏は、日本人のグローバルコミュニケーション能力の向上を切望されるあまりに、少しこの国の教育を買いかぶり過ぎているような気がする。

わたしはフランスについてもフィンランドについても詳しくは知らない。しかし、こっちのほうが「現実的だなぁ」とは思う。普遍的で万能な正解があればもうみんなやっている。



フランスが万能少子化改善策を見つけ出したのなら、わたしが住んでいる隣国ドイツはすでに取り入れて解決しているだろうし、フィンランド教育法が最高なら科学的に研究され世界基準となり、みんなめちゃくちゃ頭が良くなっているはずだ。

ドイツ人が超絶効率的に働き、それによって経済を発展させ、だれも残業しなくて済むように完璧に仕事を割り振れるのであれば、アメリカや中国あたりの企業が札束を積んで、もっと積極的にリクルートしているだろう。

でも当然ながら、実際にはそうなっていない。



それぞれの国は、それぞれちがった歴史を辿ってそこに行き着き、一方で問題も抱えている。完璧な国なんてないのだ。

「ドイツの働き方は超絶ホワイト」
「フランスの夫婦はいつまでも恋人関係である」
「フィンランドの教育方針が優れている」

こういう情報が一概にウソだというわけではない。



ただ、良いところだけを切り取り欠点や問題点を意図的に無視したり、そういう社会や制度になった背景を踏まえず万能であるかのように喧伝したりして、外国を理想化している傾向はあるんじゃないだろうか。

外国は理想投影の対象として都合がいい。

このような『外国の理想化』の原因のひとつは、自分の理想の投影にあると思う。ドイツであれば長時間労働、フランスであれば少子化、フィンランドであれば学力低下。現在日本が抱えているこういった問題を解決する希望として、「そんな問題が起こっていない、もしくは解決した国」の存在は好都合だ。

その国を引き合いに出して「日本もこうすればいい」と言えばいいのだし、ちょっと誇張して自分の理想を上乗せして伝えたところで、日本語の情報であれば現地の人からなにか言われる可能性も低い。


必要なのは、日本を導いてくれる可能性のある素敵なお手本。自分の理想を重ね合わせるのに都合のいい外国(できれば欧米の国)だ。

その海外情報、理想化されすぎていませんか?
理想をなにかに重ね合わせるのは、だれもが経験することだろう。
アイドルや漫画のキャラクターにハマり「この人と付き合ったら」なんて妄想をするとき、対象は基本的に『理想の人』として描かれる。

それと同じで、「日本ももこうだったらいいのに」という文脈で、美化されすぎている(と思われる)海外情報が結構ある。


上記で紹介した本のなかでは、「期待されているコメントをするフランス人や在仏日本人」、「自分の理想をフィンランドに重ねた元大使館職員」の可能性が指摘されている。

ドイツの理想化された働き方に関しても、日本人が期待しているドイツ像を意識したり、自分自身の理想を重ね合わせた結果なのかもしれない。(筆者注:江戸時代の儒学、朱子学と似ています。儒学は真実より理想=虚構を求める。)


もちろん、テーマに対し、多くの人が求める情報を『供給』するのはある程度当たり前だ。箱根駅伝がテーマなら、小学生のときからトップ選手だった人より、無名の県立高校でがんばってケガを乗り越えて出場した人のほうが「都合がいい」だろう。

ただ、海外情報の場合、多くの人が事実かどうかを自分で確認・体験できない、そういう国がありえてもおかしくないことから、理想化された姿が『事実』だと思われやすい。まやかしのユートピアの情報に、どれだけの価値があるんだろう。


たしかに、他国から学べることはある。しかし実態を捉えないままでは「なにを真似すべきでどこを真似できるか」の判断ができない。そういう意味で、理想化された海外情報の広まりは危惧すべきだと思う。

「そんな理想的な環境はありえるのか」、「因果関係にこじつけはないか」、「信じるに足る具体的な話をしているか」、「背景の説明はあるか」など、いろいろな点から、「その海外情報は理想化されすぎていないか」を考えることが必要だし、ライターの端くれとして、実態の伴わない理想化には気をつけていきたい。



以上、筆者には若干の海外とのビジネス体験を踏まえて、納得する言説でした。前のuploadでも述べましたが〝メディア・リテラシー〟を磨きましょう。




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